じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

2023年11月まで

1/1

9人で年越しをした。

仕事の後4人で佐野と大前神社に行った。

明日も仕事だ。

1/2

仕事の後にまたお雑煮を作った。

1/3

休みだったが結局なにもしなかった。

二郎系のよつなものを作った。

お金がないからもやしを大量に食べたが結局700円ほど使った。

1/4

夜に大前神社に行った。

1/5

ハローワークに行った。

借りた本を返しに図書館に行った。

3日連続で大前神社に行った。

(3,4,5)

1/6

ハローワークに行った。

まやの家で良いすき焼きと寿司を食べた(5日)

1/7

髪をグレーに染めた。

まやは青に染めた。

カレーうどんを作った。

1/9

千葉の実家ですき焼きを食べた。

1/10

成田山に行った。

はくさいと大根をもらった。

1/19

10時30分に起きた。

レジを打つのが2日目になった。

1/21

純弥の家で飲み会をした。

1/23

スロットで勝った。

1/25

パチンコで負けた。

今月の収支+25K

1/28

昨日は寝れなかった。

2/8

ズボンを彼女にぬってもらった。

3/7

皮肉が多くなってきたらしい。治す。

3/30

仕事の関係で、今の書き方だとすべてを記しきれない。

日記を右側に、予定を左側に書こうかと思う。

3/31

分割睡眠の習慣がついた。コメダの給料は20日出勤で109560円だ。もし別のバイトを入れたら、8日で74000で入れたい。

4/2

コメダの時給が4/21から960円に上がるらしい。物価が右肩上がりになっていく様は、22才の自分には理解し難い問題だが、貨幣価値の変遷をたと正常な経済の仕組みであると浅薄な知識ながら考えた。

税金を滞納している。国民健康保険、年金、三郷市の市県民税、来る軽自動車税を考慮すると、35万を7月までに払わねばならない。4,5,6月の生活費を24万とした時、3ヶ月で約60万を用意しなければならない。

4/3

歯医者に行った。根の治療が長い。

今年ももう4分の1が終わってしまった。

時間が早く進むのではなく自分が1分1秒を無駄にしていると思うと心が痛い。

空白はその証左である。

4/4

寝ぼうした。

4/7

昨日と一昨日はkoboの改造でほぼ1日中家に引きこもっていた。FW3.01をインストールしてCFW0.96β2をインストール、kobolauncherも入れたのだが、自動本棚機能が使えない。3.0.1にしたのが悪いのかもしれない。2.6.0にして試したいのだが、いかんせん時間がかかるのでいっそのことβ0.95あたりを使ってみようか迷う。

4/8

ようやくkoboの設定が終わった。本を数百冊入れたら遅くなった消した方が良いのだろうか。 

4/9

来週は予定が多いので不安だ。

4/12

毎日予定が埋まっていると窮屈だが、自分で選んだ道なので精一杯頑張ろうと思う。私はこの生活をいつまで続けられるのだろうか。

4/13

明日ゴム手袋を持っていく。

4/14

手帳→Googleカレンダー→TimeTreeの順で予定を管理することとする。

今までの方法では全て個別に入力入力していた為に時間と労力がかかっていたが、Googleカレンダーの予定をTimeTreeにコピーすることが出来るので、より簡単な方法に変更した。プライベートの予定はそのままコピーされてしまうので手帳で管理する。

4/23

英語を覚えたい。

4/25

久しぶりに授業の様なものを受けたが、4時間分の授業でも眠くなってしまった。座って考えるということがどれだけ体力を使うのかを思い出すことができた。受講した場所が図書館と併設されていたので、洋書を見に行った。イソップ童話の洋書が面白い。

6/3

夜から起きる生活は、今の自分にとても合っている。もし朝から夜までの労働だったら、起きれなかったかもしれない。

ここ最近は文章をインタビューくらいしか書いてなかった。ここの欄は数日分明けておくルールだが、どうせ毎日書かないから今日は好きなだけ書こう。文章を書かなくなった私は、以前と比べてどう変わっただろうか。自分が自分自身を理性的だとか、知的だと思うことそのものに、知性を高める作用があると感じている。22才と3ヶ月生きた私は、幾度となく思想や信念を変え、約束を破り、人を傷つけてきた。心のどこかで完璧でありたいと思うあまり、失敗する度に、こだわりや品性を失っていくのがわかる。例えば、ないがしろにしていた服や食、音楽の感じ方さえ、くだらない、世俗的だと見下していたころに比べれば、自らを高めることすらできない気力を振りしぼって貯めたお金を考えをせず使い、床に転がしているではないか。生きるために仕方なく働いていたかった。今となっては働くために生きることを頑張っている。頑張らなくても自ら命を絶たないと宣言しているので、寿命まで生きるし働きもするだろう。全ての人間は生まれたくて生まれてくるわけではないし、親も子も選べなくても仕事は選ぶことはできる。ぜいたくとは考える事だと信じたいが、何も考えず飲食できることはまぎれもなくぜいたくだと思う。

6/25

コメダでのアルバイトも残すところ4日となった。パチンコ店でのアルバイトの準備は何もしていないが、良い環境であることを願うばかりである。

8/4(金)

車の塗装が終わり、設計図が完成すれば、いよいよ開業も目前になってきた。

働きながら何かを考えることが出来るか否かで人生が左右

9/10

幼女戦記が面白い。

10/8

今は夜勤中で、実際には日をまたいで9日である。

悲観的でいられるのは幸福である。いつからかそのろくに根拠もないフレーズを愛でるように心の内で何度も見返すようになった。私を形作る数多くの言葉はたいてい根拠などなく、語感を気に入っているように思えるものもあれば、たいていは悲観的な内容なのである。

こういった全ての自著は何の目的もなく(心の整理にはなるかもしれない)読み返すこともなく捨てられるわけだが、やはり私の好きなフレーズの1つの「寝るというのは死ぬということ」という言葉が似合っていると思う。

過去の自分そのものを思い出したことなど1度たりとも無いのだから。

10/25

長文を書くのを見越して、前のページから書き始めてみた。中身のない文章を書くのは存外楽しい。

しかし、見返すことのない文章、それも散文の類である。一向に文章力の向上が見込めず、??それでいて生産性もないとくれば、いよいよ行動の意義が問われるところである。

ふと前の日記を見返してみたが、流石に自分で書いた文章なだけあって、当時の感情がもう1度湧き上がってくるような感覚になった。いつか、自分の書いた日記を読み返す日が来るとしたら、それはそれで楽しいのかもしれない。

比較のしようがないが、歳を取るにつれて、目の焦点が狭くなっているような気がする。物事を多角的に見れなくなっている気がする。もしかしたら、思考のピークというのはとっくに過ぎてしまっていて、今はその残滓にすがりついているだけなのかもしれない。その確信は既にあって、覆る瞬間を待ち続けている。

客観的に読んでみた時に、読み難いカショガ必ずあるが、自分で読んでいて妙にしっくりするのは、思考のプロセスを如実に表現しているからであろうと思う。それ故に、他者に自分の書いた文章を読まれるのをためらうのだ。

ここに性善説が支持されるのなら、

11/25

今年もあと37日だ。いつもならもう終わりかと思う所