じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240116

 昨日の日記を書いていなかったっけと思い出してみるが、確かに書くタイミングはなかったような気がする。思い出すのは少々億劫だが、書けるだけ書いてみようかと思う。

 16日、そうか、夜勤の合間だから日中は用事はなかったはずだ。たしか、キッチンカーをやろうと意気込んで結局やらなかった。動画を見ていたら本当に1日が終わってしまった。稲荷寿司を食べた。昨日作ったものだ。

 正直、本業の方は全然やる気が出ない。過ぎてしまった日については客観的に見ることが出来るが、明日の日程となると途端に夢を詰め込みたくなる。高すぎる理想。実現しようがない理想。

 日常生活は特に不自由はないはずだ。結局のところ、キッチンカーだって誰にでもできることじゃないし、それでいて自分を責めることができるだけでもう十分な気さえする。今の生活で十分満たされている。何不自由なく暮らせている。いくら他者と比べられようと、私の幸福度合いが著しく下がることはないし、上がることもない。

 これは私たちの世代の総意なのかもしれない。努力して高い地位を得ることに魅力を感じず、自分の今やりたいことをするのが最も幸福に感じる。中国で寝そべり族というのが紹介されていた。必要最低限の暮らしの為に、最低限の労働をし、消費もしない。中国っぽく言えば仙人のような達観した価値観に思えるが、テレビで紹介されているときはそれが問題かのように取り上げられていた。

 消費社会が新たな消費を生む。ホセ・ムヒカという人が言っていた。たとえ私の本性が寝そべり族だったとしても、私は新たな情熱的な本を読んで感動したいし、なにかで認められたいという欲求が確実に存在する。もし、人生が一度きりならばと想像する。ならば、賽を投げる方が面白いと私は思う。

 特に、書きたいことはない。書くことも、前ほどはない。題材、妄想、小説家。小説家になってみたい。読めない本がある。手元にピース又吉の火花がある。芥川賞受賞と書いてある。最初の三行から進めない。

 湯豆腐を食べた。湯豆腐は安いし美味いし健康的だ。何より太宰治が好んで食べていた。太宰治風に味の素を大量にかけて食べていた時もある。手元にないのでできないが、私のオリジナルとしてはチューブわさびを少なくとも涙が出るくらいにつけて食べるのが好きだ。唐辛子のような辛みは嫌いだが、わさびのツンとする辛さ、それ以前にチューブわさびを多量に食べると分かるが、これは味付きで、辛くなくても単純にうまい。唐辛子の辛みが好きな人を内心笑っているくせに、わさびは多量にかける。口の中の菌が死滅するとか、健康的になるとか、都合のいい情報ばかりが頭に入ってきて、正当化しようとしているのが分かる。

 たまには少なくてもいいか。今日の分に移る。