じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240106

1/6 体調は芳しくなく、連勤を耐えうるかは見通せない。影響を受けやすいので、家の物をことごとく売り払ってしまって、文を書く生活を始めたいと思う一方、季節や情景を表現するのは苦手なので、向いていないような気がする。

 私が書いた文を好きでいられるのは、思考を如実に表現しているからではないか。つまるところ、自分の中にない表現を使うことは出来ないし、分かるようになって、日常的に使える様にならなければならない。当分はそれが目標の一つである。

 皮肉が好きで、言うのも言われるのも良く、一生のうちに変わらない感性があるのならば、その内の一つであろうと思われる。隠喩という点で小説と共通する。それゆえに、より文学と分類される方に興味が行くのであれば、好ましい事ではあるが、自分の浅ましさに気付けない気もする。

 般若心経を暗誦できるようになった。相応の努力の結果だが、いつか小説を暗記できるようになりたい。特に好きなダス・ゲマイネを暗記して、独り心の中で読みふけりたい。読みたいと思うことは良いことである。たいていの傾向としては、読んだ後の状態になりたい事が多い。何でもそうだ。勉強、仕事、掃除、運動、過程を楽しむ、といえなくもないが、過程こそが本命になるには愛称と思い込み、習慣など様々な要素が重ならないといけない。

 人生が有限である。ということと、今日が有限である。というのは、若干の違いがある。今日は、人生という連続の中の区切りの様に振舞っている。