日記風

日記風日記。悪文を直したい。

味覚

 料理を作ろうと思った。料理を作るのは得意だ。誰だって、本気で料理をしたいと思えば、大抵の料理は作れると思っている。レシピ通りに作ってうまくいく料理は簡単で、上手くいかない料理は難しい。ただそれだけの事である。

 昨日はカツ丼が食べたくて仕方が無かった。少し高いトンカツ屋に行った時、サクサクな食感を味わうことが重視され過ぎていて、高いトンカツという物はこういう物かと思った。てんぷらをつゆにつけるようになったのも、江戸の屋台で鮮度の低い天ぷらの味をごまかすためだと聞いたことがある。チコちゃんが言っていた。

 私の想像しうる一番美味しかったカツ丼はこれといってない。直近で食べたカツ丼はかつ庵のカツ丼だ。言ってしまえばチープだが、これが普通に美味い。何日か連続で食べても美味い。なんとなく味を思い出せる。トンカツを作ったことが無いので何とも言えないが、トンカツの揚げ加減以外は、努力と時間で何とかなる。何とかなるどころか、市販の物や、チェーン店の料理、なんなら専門店にだって、敵うことがあるかもしれない。何もトンカツに限った話ではない。

 料理というのは奥が深い。深すぎて、何度も迷走したし、天狗になったりもした。卵を使った料理がとても苦手で、同じ固さや食感に出来た例がない。オムレツも何十回と練習したが、未だに苦手である。そういう意味では私は素人同然の実力しかない。肉を焼くのは結構得意だ。最近は彼女に喜ばれて天狗になっている。特別な技術を駆使するわけではない。肉の火の通り具合に神経を尖らせているだけだ。

 今日、なんとなくフレンチ風の料理を作ろうかと思った。サーモンのタルタルとか、簡単なオードブルだ。見たまんま、レシピに沿って作れば出来上がるものばかり。意外に簡単に作れるものは多いと思う。しかしそれは、本当に美味いのか?料理を作る上で、出来上がりの味を想像したことがあまりない。というより、理想の味というものが無い。レシピ通りに出来上がったものを、ただ食べているだけ。なんとなくうまいような気がするものを作ることが出来る、ただそれだけ。

 料理をそこまで崇高なものだとは思っていない。コメダで働いていた時とか、道とん堀で働いていた時とか、自分のサービスする料理がどんな味がするのかなんて、どうでも良いことだった。出来上がった料理も、牛肉から牛肉の味がして、すき焼きからすき焼きの味がして、アイスだってアイスの味がする、たったそれだけで十分であった。それが、自分の味覚が鈍いからなのか、料理のセンスが無いからなのか、詳しいことは分からない。そもそも、そんな繊細な味覚が存在するかどうかすら確かめようのないことだ。

 味覚の審美をする、そんな時、私が真っ先に鮮明に思い浮かぶ味は、先日と先先日に食べたチキンラーメンの味だ。80%くらいは覚えている気がする。チキンラーメンに似た商品と食べ比べても、たぶん当てられる、それくらい連日食べていた。そのほかに直近で食べたのは鰹だった。あれは美味かった。生姜を大量に乗せて食べたが、しかし、他の鰹と比べられたとして、当てられる自信は全くない。ふと、夜勤の相方とカレーの話をしたことを思い出した。相方はジャワカレーのキーマカレーばかり作るらしい。なんとなく、ジャワのカレーの味は思い出すことが出来る。比べて違いが分かるかと聞かれると自信は無いが、ジャワのカレーは個性的な味がすると思っている。

 カップヌードルは、どんなにカップラーメンが発展し、優れた麵やスープ、ラーメンに酷似したカップラーメンが登場しようと不動の人気を誇ると言われている。それは、カップヌードルがオリジナルであり、カップヌードル以外の何物でもないからだという。カップヌードルか否かを目隠しで当てるのは簡単だ。マクドナルド特有の匂いとか、コカ・コーラ特有の味とか、そういった個性的な味を記憶することが、未知の味覚を手探りで探求する手がかりとなる気がする。

 自分には到底、高級レストランに行くだけの器量がないと思う。普段の食事も味わって食べないし、どんどんと飽食の方向へと向かっている。ダイエットのせいもある。美味いものを食べないといけないと思い込んでいた時期でさえ、味わって食べることは稀であったし、最近は太りにくい食べ物をあらかじめ腹に蓄えておくことで、食欲を抑えるようにしている。しらたきとか、ゆで卵とか。

 今日はホテルのまかないを食べて帰る。食べ放題のハヤシライスを満腹になるまで食べるつもりだ。美味しい物を食べたいという欲求は、食欲という原始的な欲求の上に成り立っていると思う。