じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240128

 彼女は居酒屋に居座ると、私が何十回帰れと言っても帰らなかった。友人たちはその間、いつものような下品な話を続け、私はそれがたまらなく嬉しかった。友人たちは、私の彼女に気を使っているそぶりをすれば私が悲しむだろうと、あえていつもの口調で振舞っていたのだ。彼女は、酔っぱらっていたのもあってその話に乗っていた。私も彼女の前で下品な話をしたくなかったが、友人たちはもっとしたくなかっただろう。そう思って私もいつものように振舞うよう努めた。私は全く酒を飲む気にならなかった。友人たちも酒を飲まなかった。彼女は、自分がのけ者であることに全く気付かない様子で楽しそうに話していた。私は我慢ならなかった。30回ほど帰れと言っただろうか。私は彼女が帰らないなら帰ると言って、彼女を押して連れ出そうとした。友人たちも場の空気を保とうと必死で、彼女はそれに便乗して帰るのを拒んだ。私の良心は酷く傷んだ。

 彼女は

「わたしが帰ればいいんでしょ」

と叫び、最後に

「お前覚えてろよ」

と言って出ていった。ようやく追い出すことが出来た。友人たちに深々と謝罪し、新しい酒を頼んだ。ここの酒は濃いめで出てくるので、それもあって進まなかったのだが、場を盛り上げようと、目の前の酒を一気飲みした。私はこういう自己犠牲的な、破滅的な場の盛り上げ方をする傾向がある。そうすれば、彼らは私が飲み過ぎで苦しんでいるのを見て、心を温かくすることが出来ると思っている。それがうれしいのだ。

 彼女から電話が何度も鳴った。仕方なく見ると、家の鍵を持っていないという。取りに来いというと、すべてはお前が予定をブッキングしたせいだと言ってきかない。飲み会を台無しにして、私は、飲み会を台無しにして、最低な奴だと言った。

「お前のせいで、私は友人たちを失って、それで、その責任は私にあるというのか」

と言っても、お前が予定を重ねたのが悪いといってきかない。

 もうどうでもよかった。私にとってこの友人たちはよくつるむ友達であったが、私は、最終決定権が彼女にあると定めていたので、いつかこういう日が来ると思っていた。友人たちに迷惑をかけるくらいなら、関係を絶ってしまった方が互いの為だと思った。

 友人たちに帰る旨を伝えると、彼らも帰ると言った。気を使ってくれるのが、たまらなくつらかった。私はもう二度と、この友人たちと会わないかもしれない。居酒屋の外は寒くなかった。

 家に着いたら彼女の車があったが、彼女はいなかった。帰宅して、彼女に返信をしても返事がない。実家に帰ったのかと思った。きっと実家では普段から私を悪く言っているのだろうから、私から逃げてきたと言えばかくまってくれるに違いない。友人を失って、彼女を失ったのなら、私はどうしようかと思った。死のうかと思った。死ぬなら安楽死がいいなと思って調べた。スイスでは安楽死が合法だが、200万円かかるらしい。そんな大金はないし、私は非常に臆病者で、つらい死に方は絶対に出来ない。もし、200万円が手元にあったのなら迷わず安楽死を選ぶ。そう思って眠った。

1時ごろに彼女から電話がかかってきた。なんで起こしてくれないのと言う。どうやら車の中で寝ていたらしい。車を見たがいなかった。いてもわかるわけがないだろうと言っても、私が車の中を探さないのが悪いと言ってきかない。家の鍵を持って帰る為に友達と解散し、今度は車の中まで呼びに来いという。本当に最低な奴だ。反吐が出る。

 車に呼びに行って、家に連れ帰った。彼女は怒っていたが、思ってもいないことが、私の口からペラペラと出てきて、彼女をなだめてしまった。私が悪かった、予定を重ねてごめんと謝ってしまった。彼女も謝罪のようなことを言っていた。

 朝、起きてまずTwitterとインスタを消した。Twitterは中学生の頃からほとんど毎日使っていたが、友人と交友を絶つために削除した。インスタはほとんどやっていなかったので大した変化はない。

 日中はキッチンカーを少し進めた。いままで出来なかったところがそこそこ進んだ。貴大に、Twitterとインスタを消したこと、ラインを消したいと思っていることを言った。もうしばらく飲みに行かないことも言った。おそらく彼が一番私と距離の近い友人だろう。キッチンカーを共同でやっているので、関わりを絶つことはない。

 友人とは距離だけでなく、思想や知性の近さも重要であると思う。貴大以外に、私と仲の良い友人は何人かいる。長く連絡を取っていないものもいる。そういった友人たちとは、しばらく関わることはないだろう。

 この衝動は、一過性のものであると知っている。行動にさえ起こさなければ、そう考えた事すら思い出せなくなる程度のものである。それでも私は、人間関係を絶つ丁度良い機会だと思ったのだ。こうして人と関わらなくなれば、私はようやく私自身を見つめることが出来る気がしたからだ。