じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

2023年12月

12/26 7:20

諦念に近い感情が、自分の中にある。

12/31

 手帳を探してジョイフル本田の2階で物色していた時、「昨年の自分に出会える日記」という触れこみが目に飛び込んできた。その一文に感銘を受け、手に取ってみると5年手帳もとい日記だった。文庫本より分厚いそれは、私の求める大きさの手帳よりはるかに大きく、スーツの内ポケットに入らないものではいけないのでしぶしぶ諦めたが、結局今年も栃木県民手帳を購入し、少し内ポケットが分厚く感じる(2冊入れたので)時、これはこれで去年の日記を読むことができるなと気づいた。くだらないな。久々に文章を書いてみたが書きながら駄文だと分かる。私はごく稀に小話のようなものを書くことがあるが、どうしても実体験に寄ってしまうのが悩みだった、幼少期からのコンプレックスだったが、自分が好きな太宰治の小説も私小説(最近知った、実体験に基づいた小説)であると再認識し、この書き方を向上させようと思ったしだいであるが、日記もまともに書かず、本もたまにしか読まない身の上でよく言えたものだと、事故を憐れむ感情に浸っている。読んでも面白くない文章を書きたい。今も面白くないかもしれないが、自分で読み返すと割と面白いので、この下らない文体で、どこまで下らない主題を、同じように書けるか試したいのだ。いっそ、太宰治になりたい。それが叶わぬことは、誰よりも自分が解っているつもりだ。