じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240202

 何かが私を動かした。退勤してから朝食を食べてすぐ、銀行に向かい、紛失したために停止していたカードの再開手続きをした。普段の私からすれば大変な偉業であった。特にこの手続きは、必要に駆られた訳でもない。私の給料は、別の口座に振り込まれているのにも関わらず、直接に銀行に向かったのは、もしかしたらスマホのリマインダーに書いておいたからかもしれない。

 スマホのリマインダーには他にもガス代の明細をWEB明細にするとか、水道代がいくらかを聞くとか、別に今すぐ必要ではない用事を書いておいた。それを今日に設定したというだけの理由で済ませることが出来たとは考え難い。

 1時間でこの大変な偉業を済ませ、帰宅してまず洗濯機の蓋を開け、水の量を約40Lに設定して開始ボタンを押した。洗濯機を回す時、すぐに干さない場合は水だけ入れて置く習慣がある。別に漬け置きしたい訳ではないので洗剤は入れない。間違えて二重で入れてしまったり、入れ忘れたりするのを防ぐ為だ。

 9時57分頃、何を思ったか外にランニングに出掛けた。極稀にランニングをすることがある。だが今までは無職で数十日携帯を弄っていたときや、週三で働くフリーターだったときだ。夜勤明けで走るのは初めてだった。

 走るコースは我が家から4.7km離れた公園か、近所の住宅街かで二分される。20〜30分ほど走ろうと思っていたので住宅街の方に体が動いた。片道10〜15分の所でなければと何度も自分に言い聞かせていたが、丁度10分に差し掛かった時には物足りなくなっていた。

 私の悪癖で、帰って来ることを考慮しないで行先を決めてしまう。結局この日は40分程度、約5.8kmの距離を走った。

 洗濯機を回そうとした瞬間に、今走らないと、服が汚れるから走れないと直感して体を突き動かしていた。少なくとも日記を書き始めた1月1日からでは初めてである。年に数度、衝動が私を理想的な方向に突き動かす。毎日こうであってほしい。書くことに困らないで済むと思ったが、継続して同じことをしていては結局書くことに困るような気がする。

 一日のハイライトを作るなら以上である。帰宅して、洗濯機を回してシャワーを浴びた。本当は、風呂を沸かして長風呂をしようと思ったが、10分で済むシャワーを1時間に伸ばすのがもったいないと感じた。選択が終わるまで柔軟をしようと思ったが、かじかんだ耳と首が頭痛を起こして思うように体が動かない。だが、一番の要因は携帯を見ていたからだ。携帯の文字が頭の中に入ってきて、私の行動意欲が削がれていった。今日はもういいかという気にさせた。

 洗濯物を干して、3時間だけ眠って本を読もうと思った。アラームをかけた。起きたら5時間経っていた。アラームは鳴ったのだろうか。記憶がない。

 起床しても、何らやる気が沸かない。だが本は読まなければならないという気になった。彼女が帰宅して、今日は飲みに行くという。駐車場の車を入れ替えて、彼女は徒歩で出て行った。私は部屋で1人ヨルシカの春泥棒を熱唱した。一番目を3度、繰り返しアカペラで歌って録音した。都度聴き直して、自分の音の外れ具合を恥じた。最後に原曲キーで歌ってみたら意外に録音と自分で思っていた声が変わらなかった。少しはマシに聴こえたりしないだろうかという淡い期待があったので、諦めるいい機会になった。自分の歌を録音するのは日記を書くのに似ているかもしれない。思うがままに書くということと、自分の声を聞くことには羞恥心があった。今は以前より恥じなくなったが、目の前で日記を読まれたり手記を読まれたり、録音した歌を聴かれたりしたのなら、顔から火が出るほど赤面するだろう。しかし以前にも増して他者への興味が薄れているが故に、こうして公開して保存する事ができている。日記を公開しているのはTwitterの影響が大きいだろう。風呂に入るとか、学校に行くとか、ツイートしないと行動に移せなかったほど没頭していた。ほかてらやほかいまと言ったら通じるのだろうか。

 訳あってスマホから打っているのだが、下書きを保存しようとしたらtimeoutと表示されて焦った。去年は確か、日記をスマホで書いていたら削除されて書かなくなった。急いで適当なメモアプリに保存して、再度送信したら問題なく保存できた。

 スマホからだと今何文字打っているかがわからない。目標の二千文字まであとどのくらいなんだろうか。ところで、この日の暇な時、ライターの仕事の人は、一日に何文字書くかを調べた。五千文字とか一万文字とか、何を書くかで異なるのだから信憑性の欠片もないのは承知だが、私が頑張って書いた二千文字なんて、大した事は無いのだと思った。私にとってどういう文章であるかとか、どれくらいの分量であったとかが大事なのであって、それが他人と比べてどうだというのが、価値の揺らぐ要因足り得ないことは分かっている。それでも、日常的に文章を書く人間として、私の今の能力が業界の中で下層であるという事実も変わらない。理想は当然上位であるから、日記も4千文字書いてやろうかと思わなくもないが、実際日記と呼べる部分は今日を例に上げても少ない。書いている本人だからこそ、この文章の、どの部分が事実でどの部分が想像であるがを省みた時に、到底書けないと確信させる。

 割と冗長的な文章でも、すらすらと読める時があるように、書き方はもっと考慮したほうが良いかもしれない。私自身の文章を推敲すると、面白くない文章になっていることがある。あると言っても1度や2度の経験で、それ以来自分の日記を殆ど推敲していない。生の文章を残すという思想は捨て去ることができた。以前は誤字脱字すら残すべきだと思っていた。

 気になって、いても立ってもいられなかったので、文字数を計算するサイトで調べたら、二千文字を超えていたので、この辺にしておく。スマホで書ききったのは初めてだった。パソコンよりも疲れる。