じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240203

 一人で書くのと、親しい人間が傍にいる時に書くのとでは、文章の進み具合が全く違う。後者の方は、まるで日記を書くようになる前に戻ったかのように言葉が出てこない。会話をするのと、文章を書くのとでは、同じ言語でも脳の使っている部分が違うらしく、バイリンガルのように、同時に駆使するには難しいようだ。しかし、私が日記を世間に見える形で投稿することを克服したように、傍に人間が居ても、同様の文章が書けるように訓練しておくことが、今後の社会生活で役に立つことがあるかもしれない。

 仕事の方が早く終わってしまったので、ちまちまと二月二日の日記を書いたら、さすがに一時間以上も暇があったからか、全て書き終わってしまった。パソコンで打つのと同程度の速度であったように思う。疲労度はと言えば、パソコン<=スマホ<<筆記 という具合で、パソコンは手首が疲れる時があるが、スマホは慣れているのかあまり疲労を感じなかった。書き上がった日記には句読点が少ないように思われた。筆記は最も手や指の疲労が蓄積しやすい。

 余った休憩時間は、アニメを見た。待ちわびた金曜日であったので、フリーレンの21話を観た。感想の詳細は割愛するが、一話全体を通して、内容の区切りと盛り上がりが充実していた。なろう感やメタ感は否めなかったが、主人公をバードボイルド風に仕立て上げるには、脇役にシャーロックホームズの取り巻きのような存在が必要なのだから仕方はないと納得している。

 次いで、文豪ストレイドッグスの五期を二話見た。登場人物の死なないところは安心できるが、武装探偵社の圧倒的危機によって、本当に死んでしまうのではないかと危惧させるのが、上手いなと感心した。

 それでも余ってしまった休憩時間は、手帳を書いた。手帳は思った雑記を記す欄と当日のあらましを四行に収める欄の二か所があるが、書く前から文章が決まっていたかのようにスラスラと書くことが出来た。

 今日は出来るだけ自分の頭に入ってくる文章を少なくしようという試みを実践していたので、かねてよりアプリやタブを少なくしておいたスマホを、意識的に見ないように努めていた。結果はすぐに表れ、朝方配達に来る新聞を入り口に置くという仕事の前に、新聞を読むのだが、いつもより読んでいて疲労が少ないように思われた。新聞は読まなくても生活できるし、むしろ新聞を読む人間が身近にいない私にとっては、未知で難解な世界だという思い込みがあるが、その憧れが私に新聞を読ませる動機となって、新聞を読む私に自惚れる事が出来た。

 地方紙を4ページ程読んで、県央の情報だけ少し多めに読むのだが、ふと能登半島復興支援募金の欄に目が行った。普段なら取るに足らない欄であったし、恐らく以前からずっとそこにあったのだろう。募金した人の名前と住所が、最低二千円から記されていた。ふと、ここに応募したいという衝動に駆られた。私の名前が新聞に載る。一万円募金して、下野新聞に載って、それを知り合いに自慢したい。それに容易に実行できる。今思えば、器の小ささを言って回るような愚行だとも言えるし、それでも一度は経験したいという自己顕示欲も八割方残っている。その欄の下に、読者登壇というコーナーがあり、これにも応募したく思ったが、お金を出して、お金を出しましたと公表することが、社会通俗への批評を複数人の公募の中から選ばれて公表される事と比べて、あまりにも下卑たことのように思われて、携帯1つで済む振り込みをあと一歩のところで踏み止まらせるに至っている。

 文章を書く労力と、読む労力の差が、読み返した時や読み手を慮る時の齟齬に繋がっているようで、意図的に読む文章を減らしていることで、書くように読むことが出来るようになって、その誤解を少しずつ解くことが出来るかもしれない。現代を生きている人間。と言うと主語が大きいようだが、極端に言えば社会の規模が小さかった中世以前と今とでは情報量に圧倒的な差があった。私が日々携帯から得ていた雑多で体系を持たない情報は、勉学をする機関で得た情報のように基礎を持たない。私の中では無駄な知識だと断定したいが、世の中には数字を使わないで数学を説明する人がいるように、その雑学は悪役に仕立て上げる程の悪習ではないようだ。

 ハガキを書いた。まず初めにティーセットを描こうと思ったが、りんごですら一時間かかるので、茶菓子、ショートケーキを描こうか。いや、それでも一時間では足りないだろう。なにか案はあるだろうか。簡素なイラストを描こう。思い返せば、イラストなど今までの人生で描いた事がなかった。そもそも絵を描くのが大の苦手で、絵を描けと言われたら、身に余るような写実的な絵を描こうと試みては失敗して失敗談を蓄えていた。元はといえば、彼女に分けてもらったハガキが画仙紙だったのが事の発端だ。午後の紅茶と書いてあれば午後に飲まなければいけない気になるように、朝の茶事と書いてあるお茶は朝にしか買おうと思わないし、画仙紙であるから絵を描かなければいけないような気がして、文言の端に絵を添えることにしたのだ。お菓子の絵を五つほど、驚くほど単調なイラストを右上に描いた。努めて原作と同じ造形になるように描いたが、描き上がったイラストを見て、人間はこんな線を見てお菓子だと判断するのかと驚いた。本来は、保育園や小学生の頃に分かっているような初歩的な認識であるように思う。

 ハガキはポストカードと画仙紙の二種類を持っていて、最近は文字数が足りなくなってしまうので画仙紙を用いている。普段は鉛筆で絵を描いた後に鉛筆で文字を書くのだが、この日は先程のイラストを添えた一枚を書いた後にもう一枚書きたくなり、ふと調べていると、鉛筆でハガキを書くのは失礼という記事を見た。失礼と書かれてしまうと書く方もいい気はしないが、ボールペンを使うのもあまり好きではないし、筆ペンでもあればと職場の文房具を漁ったら存外すぐに見つかったので筆ペンを用いて書く事にした。かつては筆記具を垂直に持って書いていたので、鉛筆で書く方が文字が上手く書けたのだが、それだとボールペンで字が書けないので、斜めに書くように矯正した。筆ペンで書いた字が煩雑すぎてすぐに後悔した。最後の行に鳥獣戯画のウサギを添えた。

 夜勤を共にしている私より30歳近く年上の人が、下戸で今まで酒を飲まなかったが、ハイボールを飲むようになったと言った。私はウイスキーを布教するのが大好きなので、また我を忘れて語ってしまった。スコッチを飲むならグレンリベット12年をプレゼントすることが多い。世間的にも定番であると思う。

 朝食はチキンカレーだったので、いつにも増して大量に食べた。久しぶりの休日であったために、その日の予定を考えるのが億劫であるとともに、私が本来一日のハイライトとすべき時間がやってきたという興奮も内包して、意気揚々と帰宅して、すぐに寝た。寝る前に彼女と星乃珈琲店に行く約束をした。15時ごろに起床して、星乃珈琲店には16時頃に着いた。その日の17時以降、18時ごろに友人とキッチンカーを進める話をしていたので、1時間だけの滞在になるな等と内心考えながら、以前3行しか読めなかった又吉直樹の花火を読んだ。書き出しは、文学風の情景を書き出しているものだから、この調子で最後まで続いているのかと思ったが、いざ読み進めてみると、どうやら私が私の日記を読むよりはスラスラと読める。芥川賞受賞と聞いていたのでハードルをかなり高くしていたので、芥川賞とはこんなものかと思ってしまった自分がいた。こんなものかとはいっても、それが私には到底理解の及ばない崇高で洗練された文学であるのかもしれない。多読家ではないし、比較するのが太宰治や海外SFくらいしかないからかもしれないが、読みにくさを良さと勘違いしている自分がいることは間違いない。それを踏まえても、最初の20ページを読んだとき、私にも書けるのではないかという気にさせる程、中身の面白さや構成というのが理解できた。主要な登場人物は片手で数えられる程度で、主人公と先輩のやり取りが主な内容であったのもあるだろう。171ページ読んだとき、私はこの本のような構成は書けないなと思っていたが、短編の合作のような、妙に歯切れのいい話の構成だったので、浅学ながらこんなものかという気にさせた。

 もしかしたら、この本は面倒な描写や設定を全て省いたのかもしれない。そうすることで、読者に受け取ってほしい感情や描写を明確にしたのかもしれない。そうであったのなら納得がいく。文章とは、短くする方が難しいことが多々ある。そういう意味では洗練されているだろうから、直感の方で理解できていないという疑問を呈することができた。

 読み終えるのに2時間半はかかっただろうか。ふと予定の事を思い出して、携帯を覗いても返信がない。返信がないときは、私の方から誘わなければ予定がなくなるので、私はその友人の適当さを時には利用させてもらっている。これが私の方で準備万端の時では苛立ちを覚えるだけなのだが、長年の付き合いで、うまくやっている。

 コーヒーを、二杯飲んだ。腹は少々空いていたが、本を目の前にして何か味のある物を体に入れたくなくなった。彼女は気を使って、私に彼女が頼んだドリアを少量口に含ませた。最初の一口は自分の興味によって食べる気にさせたが、物語の中腹付近で再度私に食べるように促されたので、渋々その肉を食べると、ラフテーのような柔らかさに感嘆した。外食をするとき、一般的な家庭料理であったならば自分で作りたいという探求心が芽生えてしまう。そもそも、私は外食をする基準に自分で作れるかどうかとか、懐かしいものであるかどうかとか、自分で作れないものかどうかとか、挙げ出したらキリががないのだ。そこに、自身の舌に対する自信は微塵もないので、どうしようもない頑固者だと思う。とかくその肉は異常に柔らかかった為、是非再現したい。

 彼女と夕食はどこに行くのかという話になった。私は寿司が良かったが、私の食事の欲求は読書欲より低かったので、彼女の食欲を満たす方が良いと判断して、あえて言わずに聞いた。そうすると、牛丼かサイゼリアと言うので、私は本当に牛丼が食べたいのかと詰問した。牛丼なら許してくれると思ったというので、私は、互いが納得する答えを探そうとするとき、双方が本当に行きたくない場所に行ってしまうことがあると、何度目かの戒めを自分自身と彼女に言い聞かせ、私は本当に食べたかった、寿司を食べたいと言った。彼女は寿司が食べたいというので何度か本当か聞いたが、本当だというので、寿司を食べに行くことになった。その前に、彼女は毛糸を買いたいと言っていたのでショッピングモールへ向かった。追記しておくと、星乃珈琲店では編み物をしていた。

 ショッピングモールで編み物を見ている間、私は裁縫やレザーなどの複数の棚に目が行ってしまうのを、堪えても堪えきれずにいた。彼女に好きな色の毛糸を尋ねられて、ないと言うと機嫌を損ねそうな気がしたので思案して、複数の色を提示した。ワインレッドと薄い紫の毛糸であった。彼女は編み物に熱中しているので、展示品のベストやバッグといった大作に私が少々の興味を示したのを汲み取って、作ろうとしだすので、小さい作品を作ってもらうように努めた。ティーポットの敷くものや、カップを覆えるものが良いと言って、作ってもらうことになった。

 ショッピングモール内に併設された寿司屋は大衆的でリーズナブルな回らないチェーンの寿司屋で、先の喫茶店で二人で3500円だったのを考えれば5千円程度を出しても価値があるように思われた。包み隠さずに言えば、彼女の酒癖を怖れていたので、酒を飲まないように釘を刺した。私もこの後に本を読んだり手帳を書いたりするかもしれなかったので、酒を断じておこうと思った。金銭的な都合でもある。入店してメニューを探し、寿司店にそぐわない名前のメガ盛りセットを頼んだ。私はサラダと茶碗蒸し付きを頼んだ。最近は日記を書いているので、これを食べたことを記憶して置かないと書けないなと思い、鮮明に記憶に残るように努めた。ここまで来るのに五千文字となってしまった。

 零細に説明できるように写真を撮っておいたので、それを見ながら記述する。無料のクーポンで鮪を二貫ずつ頼んだ。店員に無料の飲み物を勧められたので、お茶を頼んだが、熱すぎて飲めない。というか湯呑が持てない。

 鮪を一貫食べたところでセットが来た。しけるので海苔巻きを先に食べてくださいと言われた。手巻きの形状の鉄火巻きで、これが回転寿司で口にするような廉価な鮪の味だったように思う。もっとも普通の味からと、玉子の寿司を醤油に付けたら、彼女もそれを食べるところだったので苦笑した。醤油は普通のものと昆布のものがあったが、特に考えずに普通の物だけ使った。醤油皿は二枚来ていた。次いで鮪、筋子、サーモンととびっこときゅうりの軍艦を食べた。私はきゅうりが苦手なのだが、少量の物であれば気にせずに食べることにしている。見た目に反してきゅうりの主張が強く、後味にきゅうりが残った。たこ、えび、たい、しめさば、かつお、えんがわのわさび漬け、えんがわ、炙りサーモン、たい、漬けまぐろ、いなり寿司、どれも普段食べている寿司よりうまいように感じることが出来た。二千三百円ほどだったが、私たちにとっては高級である。

 味については語っているとキリが無いので、上位のものから言えばえんがわのわさび漬けは感動する程美味かった。しらすの沖漬けを思い出すような独特の熟成した香りと脂が、メガ盛りの中で異彩を放っていた。しめさばも私の期待以上の味であった。また、まぐろもシンプルに美味しかった。最近助六寿司にはまっていたので、いなり寿司に期待しすぎていたがために、普通過ぎたいなり寿司は落胆しかけたが、米が立っているようで、お惣菜の稲荷寿司よりは美味い。それだけで十分だった。

 終始日記の事を考えながら食べていたので、あまり会話を楽しむ事が出来なかった。会話したことを思い出そうとしても思い出せない。私が、寿司の事ばかり話していたからだろうか。しかし写真を見れば、食べた味を今は克明に思い出すことが出来る。想像できる味のものは、外食に行かないという私の中のルールがあるので、しばらくは行かないで済みそうである。ただ、自分の作れないものは食べに行ってもいいという例外もあるので、気が向いたら立ち寄ってしまいそうだ。

 ウトウトしながら運転して帰路についた。家路に入ろうとするところで、乳液を買うのを忘れたことを彼女に指摘され、ドラッグストアに向かった。かつて私が入っていた囲碁将棋部の後輩が居たので、気づかれないように退店した。

 帰宅して、すぐに睡眠した。寝ている間もずっと彼女は編み物をしていた。