ヨルシカの曲が好きだ。強く意識したのは、「アルジャーノン」という曲からで、個人的に「アルジャーノンに花束を」という小説を読んだ、少し後に出た曲なので、曲に込められた思いを深く理解することが出来たからであった。
世代的には「言って。」や、「負け犬にアンコールはいらない」なども聴いていたし、n-bunaの「アイラ」も好きだ。しかし最も好きなアーティストに挙げるほどではなかった。
最も好きな曲は「春泥棒」だ。「花開いた今を言葉如きが語れるものか」という歌詞に心を打たれた。言葉の威力というものを実感した。全然話は変わるのだが、自分のToDoリストに「ゴミを捨てろ」と書いたのは、先述の語気の力を感じてからである。とにかくその歌詞は、いつ聴いても初めて読んだときと同じ衝撃を受ける。
曲の感想ではなくなってしまった。「忘れてください」のMVに魅入っていた。今も曲を聴いている。何度も繰り返し聴かないと、奥深くの思いに気付けない。私よりももっと優れた感性を持った視聴者が、コメントに手がかりを書いてくれていたので、私にもその断片を理解することが出来た。
心臓が窮屈になるのを感じる。忘れてくださいという言葉に込められた思いを深く追求した時に、死や別れを彷彿とさせる。その不安を抱えて視聴して、ついに、MVの解釈に死別を含んでいると気が付いた。MVの監督は擬態するメタ、TOOBOEさんのMVを作っている人と同じだ。とても深い映像を創っている。映像の舞台は部屋から一切動かない。色、時間の流れ、全てを利用して、極限まで広い世界を演出している。今、自分の中を満たしている喪失感に、ヨルシカの優しい声が落ち着きと安らぎを与えてくれている。
言葉を選ぶことも出来ない。「忘れてください」という言葉に込められた感情の、蓋を開けてしまえば涙が止まらなくなってしまいそうだ。職場で視聴している手前、嗚咽を漏らすわけにはいかない。サビのハモりに作曲者のn-bunaさんの声が入っていることに気が付いた。概要の手紙の内容も好きだ。枇杷。季節。思い出。
これは歌か、詩か、映像作品か。物語とは、詰まるところ、自分の中でまとめたあらすじを読んでいるのではないか。あらすじに表せない零細は、実質書いていないも同然で、理解の仕様もない。「忘れてください」の作品の、どのくらいを理解できているのだろうか。理解の出来ない衝撃は、かろうじて作品から感じ取ることが出来る。
思えば詩に興味が沸いたのは、ヨルシカがきっかけかも知れない。中原中也に興味を持ったきっかけだ。俳句や短歌にも興味が沸き、季語に興味が沸き、彼女にはがきを書く際に時候を書くようになり、回帰して、ヨルシカは詩的で、季語を含んでいることに注目するようになった。枇杷の花言葉には「愛の記憶」というのがある。「忘れてください」は、愛の記憶の物語であった。
蛇足なので読み飛ばしてほしいが、季語から物語を書いているのだろうか、物語に季語を取り入れているのだろうか。物語や詩を読むとき、どうしてそう書いたのかを考える。私は今年、23歳になってようやく季節を意識し始めた。n-bunaさんは現在28歳らしい。創作から、作者の思考を追体験したい。思考や思想、生活に融和している季節感が感じられるようになりたい。