じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240301

 夜勤の仕事を教わり始めて、指示書側が二日目の社員に仕事を任せていたので、暇を持て余していた。確認をするために要所要所で同じことをしたのだが、それでも余った時間は調べ物をしていた。手帳についてと、クルーズ旅行についてである。

 クルーズ旅行は、ロマンを感じている訳では無いが、人と違うことをしてみたいと思ったときに、ただ周りの人で行っている人がいないからという憧れであった。人と違うことがしたいというのをいうのは恥ずかしいと思っていたが、バーで堂々と発言して、本人はダンサーで海外に行ったり借金を二千万背負ったりしているという話をして格好がついていた。羨ましそうにしていたら、客の一人がニヤニヤと私を見た。悟られたと思った。

 クルーズ旅行というのは眠るのがもったいないほど船内が面白いと聞いて、期待に胸を弾ませた。別に行くわけでもないのだが、空想だけで満足してしまう癖があった。

 手帳という言葉を含むものを調べて、ただの手帳ではない、今持ち歩いている県民手帳や税務手帳、歴史の手帳などの変わりものが欲しいと思っていた。サイズについてもしっくりくるものがない。今の手帳は結論から言えば小さすぎるが、持ち歩くには最適な大きさで、不満ながらもしっくりくる。手帳の他に手記を持ち歩いていて、この手記が安物なので別のものに変えたいと思っている。それにサイズもあまり好みではない。書くには小さすぎて、持ち歩くには大きい。それで、用途に応じて複数持ち歩こうかとも思った。キッチンカー用に一冊、ライター用に一冊、ホテル用に一冊、県民手帳が日記と言う具合である。

 しかし四冊もポケットに入れるわけにはいかないし、サイズも小さくては意味がない。統合して大きいサイズのものを持ち歩こうか。しかしあまり大きいならパソコンに打っていてもあまり変わらない。去年から迷っていて、結局買えないでいるのだ。同じ県民手帳の色違いを買って仕事用にしようか、スマホで管理できるように整えようかなどと考えた。一向に結論が出ないのである。

 なかなか指示書を作るのが長引いているようだ。それもそのはず、今日が初めて一人で作る日なのだから、長引いて当然なのだ。それに、今日はいつもよりも面倒くさい日なので申し訳ない気もするが、書かない事には覚えないので仕方ない。それでも3時までに終わったのだから上出来である。

 昨日と違って言葉を紡ぐ気力は残っているようだ。睡眠を多めにとっていたからかもしれない。明日が六連勤目でマネージャーとなので、あまり遠出は出来ない。どこに行こうか思案している。3時46分。

  いつものように、葉書を書いていた。三月になったので、三月上旬の時候を書けるようになった。毎日のように書いていると、時候の言葉が尽きてくるので困るのだ。段々と眠る時間が伸びてきていて、気力が余っているからか、三枚も書いた。

 読み易いようにと文字を大きく書いた。普段より大きく書くと、汚い文字がより汚くなって、万年筆の方もうまくは書けなかったが、筆ペンの方はボールペンよりひどくなった。

 大きく書く事で文字が読み易くなるというよりは、文章の量が少なくなって読み易いという意である。それが我慢ならなくなって三枚目は小さく書いてやった。今読み返すと、長い方は前略で詰めて書いたにもかかわらず、候文で書いた方と内容の濃さが大して変わらないように思われる。つまりはつまらない冗長な言葉遣いが多いということではないか。私が普段大切にしている言い回しが、実はとるに足らない作文用紙の文字稼ぎに過ぎないのではないかと思った。

 葉書を書く前に、一時間程檸檬を読んだ。50ページほど進んだが、三回くらい読み返さないとまともに理解できないと思う。私の文章も、三回くらい読み返さないとわからないくらいでいい。よく面白くない小説として檸檬が上げられる気がする。私は面白いと思う。それでいいのだ。それがいい。

 フロントに立ってからは、手帳を書いていたのでほとんど話さなかった。話すことで書けなくなると知ってからは、より言葉を発することが恐ろしく感じられた。今日日記を書きにくく思っているのはそれ以外の要因である。

 朝食はミートペンネと書いてあり、ミートと書いてあると食欲をそそる。しかしミートペンネにミートは殆どなく、ペンネと300gとミートソース一袋といった文量であった。飯にかける物が見当たらず、迷った末にソーセージや薄切りビアソー、唐揚げを飯の上にのせて食べた。想像よりも食べ応えがあったせいで、いつも以上に腹が膨れた。

 それもあってか帰宅して眠るといつもよりも二時間も多く眠ってしまった。たった二時間だが大きな二時間である。げんに日記を書くのにこんなにも苦労しているし、日常生活に支障をきたしている。眠る前、音楽を聴いていたのがいけなかったのか、炭水化物を食べ過ぎたのか、そのどちらか判然としない。

 まず、服を洗いシャワーを浴びた。以前は目を覚ますために出勤前に浴びていたが、最近は出勤前までの時間を大切にしているので先に風呂に入り、最低限の準備をしてから出勤できるようにしている。

 飯を炊く。昨日の飯が釜に残っている。前述したが時間は無いので、わざわざ明日の分の飯を炊く必要はなかった。それでも炊いたのはもはやこの少ない時間で何をしていいのかわからず、慣例に従い行動を起こすほかなかったからである。彼女から帰宅の連絡がなかったので、先に飯を作ってしまった。目玉焼きをバターで焼いて、ダイソーのトリュフ塩をかけた。丁寧にラップをして、品書きをはがきにでも書いてやろうかと思ったが、流石に時間がなかったのでやめた。枝豆を冷凍庫から出し、袋の裏に書いてあった調理方法を見た。流水解凍、自然解凍、レンジ、どれもしっくりこなかったので、丁度飲んでいたお茶を、何煎じもしようと沸かしていたお湯に、凍ったままのボウルを載せた。一向に溶けないので鍋にうつして、水につけることはせずに湯煎をして時々手でかき混ぜた。何のための努力かわからなかったが、出来上がった枝豆が美味かったので、水につけずレンジで急速に温めなかったからだと結論づけた。

 食べ終わった皿を洗い、歯を磨き、もはや人並みの仕草は済ませ、私自身の務めを全うしようと、押し入れの奥から筆記具をひっくり返したが、ノートと鉛筆を目の前にして、何を書けばよいのかついにわからなかった。本を読む気も起らなかった。

 そうして日記を書いている。日記を書くのは最終手段にしていた。あまり創作性にとんでいない気がしていたからだ。いつも日記を始める側の人間だったので、日課として日記を書くという用事を消化する気持ちが分からなかった。今日で60日目くらいか。3日とか、7日とかで喜んでいるとすぐに足元が掬われたものだが、もう記念をして気を大きくしても良い頃合いだろう。

 あと数十分余っていて、これを何に使ったらいいかもわからなくなってしまった。逃避としての日記を書きたくなる経験はあまりない。いつも聞く日本語の曲を起きた時から日記を書くまで流していたが、それもあって家事に集中してしまった。音楽を流していなかったらこうはならなかったかもしれない。集中はしていたが、気力は消費した。トイレに行くのが疲れないように、ルーティンにしたい。習慣にしたい。私から失われていく気力をどうにか留める方法を探している。

 彼女が日記を書いている時に帰ってきていて、日記を書き始めてからはジャズを流していたので、丁度広告が邪魔をして大絶叫をしていたところであった。彼女に聞かれてしまったのを恥じた。というか、怒号であったので、彼女を感情的にさせてしまうことが間違いがないので、本当にごめんと謝っていた。

 彼女は残業により遅くなり、これから友人とご飯に行くと言った。私は料理を用意していたので、明日食べてもいいよと言ったが、今食べると言って食べ始めた。私も外食をして帰ってきたり、これから外食と言う時に、気を使って家でも食べるので、似通ったものがあると感じた。

 8時半直前に、彼女の携帯に友人から

「ご飯どこにする?」

と送られてきていて、申し訳ない気持ちになった。

 彼女に料理を食べたら洗い物をして、歯磨きをしなさいと言った。不服そうであったが、私が人並みにそれを出来た日であったので気が大きくなっていたのが影響した。

 できれば日記に時間を取られたくはない。だが今日はマネージャーとの仕事なので、休憩中にまた書くだろうなと思った。

 出勤をする直前までしていたことといえば、代謝が落ちていたので温かい飲み物を飲もうとお茶を温めたぐらいであった。それと魚は銃を持てないという架空の文藝誌を持っていった事か。そうだ、殆どの時間をとあるTwitterのアカウントを調べていた。私が日記を書く前まで、Twitterを毎日見ていた。今となっては、どのような気分を呟いていたのか思い出せないが、Twitterをやっている時は140字という枠に囚われていた。

 その140字の文章に命を賭けていたころがあった。中学生の時に始めて、休日をTwitterに費やす日が数えきれないほどあった。そしてそれを後悔しなかった。私の性格の大部分を形成したと、当時の自分が思っていたことを覚えている。この時期の思い込みはおおむね妄信していて、私という人間の大筋はここから生まれている。

 呟く、ということに関しても熟考していたが、読むということに関しても最大の、探求と敬意をしていた。敬意、感謝、人徳、高尚という、人間らしい上昇志向を会得したのもこの頃であった。もっと遡れば小学生の時点で熟考について信頼していた。

 高校生の時、そこで私と似てかつ優れていると思った人間が二人いた。そのうちの一人は精神的な病に臥していた。もう一人は大学生で読書家でSFを好んで読んでいた。

 私はこの人の「魚は銃を持てない」という言葉が痛く気に入り、そのことについて空リプをすると、反応してくれた。口調のすべてに私らしさがあり、私の文章を一貫性に優れた文章にしたようであった。理想というにはやや近すぎた。

 どうやらそのフレーズはとある小説のものらしく、その作家の、読み易いという本は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」であった。早速買って読んだがあまりにも難しかったので、私は悪戦苦闘して読了した。海外SF、翻訳した本の読みにくさを痛感し、海外にはこんな面白い物語があるのかと感嘆した。今思い返せば、この本を読んで最も感動した部分はストーリーの直接的な部分ではなく、それがアンドロイドなのか?私は本当に人間なのか?という、人間の判断の基準や、道徳のないということを物語が暴き出したということについてであった。近代小説を読む基盤があったのかもしれない。

 普段本を読まない私が、文藝フリマというニッチな同人誌即売会に行ったのも、このエディプスちゃんという人が合同で出店していたからであった。この時に買った数冊のうち、一冊も読まずに仕舞ってある。つまるところ私は、多読の反対側の方の人間であった。

 出勤し、今日が宿泊者の少ないことを知っていたので、仕事をゆっくりと進めた。今日は暇があると何かしていなければならないからだ。