じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240214

2/14 少々時間があるので、日記をメモ帳に書いておく。

 いつも彼女に書いている葉書に、何を書こうか思案し、読むのが簡単な内容を考えたが思いつかず、絵を描いた。2月らしいものということで、梅の絵を、水墨画風に描いてみたのだが、筆ペンでは明暗が描けないので、花の部分をどう描くかで少し迷い、試しに鉛筆で描いてみたら、案外それっぽく見えたので、鉛筆で花の部分を描いた。最近描いた絵の中では傑作であった。

 水墨画を筆ペンで描いている人の作品をもっと見てみようと調べていたら、筆との比較の絵を見た。竹の絵であったが、全く違う書き味で、筆の絵の方の大胆な筆致に絶句した。それと同時に、私にも描けるかもしれないという謎の自信が湧いてきた。こと絵に関しての自信は、実力と一切の関係がなく、全てうその自信だと思っていたが、水墨画に関してだけは、私にも描けそうだと本気で思った。色彩の感覚は全くと言っていい程無いが、明暗の感覚は人並みにはあるつもりだ。

 帰宅してから、今日一日何をしようかと考えておいた。習慣の可能性について考え、偶数の日は筋トレをとキッチンカーをしようと思った。奇数の日は読書である。

 早速帰宅して、体育館まで走ろうかと考えたが、すんでのところで思いとどまって、車で向かった。距離は片道三キロで、走っていくこともできたのだが、その後の事を考えたら、約50分自由にできると思ったのだ。

 近づくにつれて、図書館に寄りたくなった、図書館の事を考えたら、近くのひな祭り会場に行こうと思っていたことを思い出した。会場に駐車し、入り口に行くと、10時からと張り紙が張られていた。それまで時間を潰そうと、筋トレでは残りの10時までの40分では少ないし、流し読みするには多すぎるような気もするので、久し振りに神社に行くことにした。神社では、梅が見事に咲いていて、社会人になってから、本気の画角で写真を撮るのが何故か怖かったのだが、意を決して梅を撮った。最近のスマホのカメラの性能に驚いた。

 いつからか、神社で恭しく振舞うのが楽しくなっていた。一人の時は余計に、仰々しく振舞うのが楽しい。鳥居で頭を下げ、礼式を重んじ、本気でかしこまることで、自分の到らない所を再確認できる気がした。

 結局20分程余り、図書館でふらふらとさまよっていたら、漫画の新渡戸稲造の武士道があったので読んだ。小さい時から漫画が好きで、没頭して読み続けてしまう。予定の10時よりも15分も過ぎて図書館を出て、ひな祭りの会場に向かった。

 想定していたよりも二倍くらい大きかったので驚いた。以下にも神妙な面持ちで鑑賞して、画角を気にしながら写真を撮った。

 その後、市の体育館のトレーニングルームに機、腹筋をした。腹の肉を一番気にしているからである。腹筋だけに絞って頑張ろうと思い、いつもより腹筋をした。といっても、30回、10回、10回の三セットで、毎回頭が痛くなるので、呼吸を意識しながらだったが、結局ひどい頭痛になった。途中で、腰から足にかけて痛かったので調べたら、頭を膝に近づけるかららしい。その時に使う筋肉は腹筋ではないので、近づける意味がなく、むしろ勢いをつけるせいで、筋トレの意味がなくなると書いてあった。

 頭痛の中で、なんとか帰路につき、仮眠をしようと布団に入り、4時間も寝た。起きてから、携帯で動画を見ていたら、電池が切れた。とたんに家事のやる気が湧いて来て、溜めていた洗い物がいくばくか進んだ。形態はやはり悪なのかもしれない。途中でお線香で遊んでいたら彼女が帰ってきた。

 電話をかけていたらしく、返信がないのを怒っていた。電池がなかったので充電していたと告げ、丁度作っていた中華スープを二人で食べた。ほとんど彼女が食べた。直前まで昨日の鍋の残りを食べていたのと、お茶を1リットルくらい飲んでいたのもある。

 彼女と有隣堂の動画の、又吉が登場するのをいくつか見た。又吉の本に対する熱情がひしひしと伝わってくる。紙の本の良さを、ここまで言語化することが出来る人間は他に類を見ないように思う。作家の人の喋ることは面白いのかもしれない。面白いだけではなく、珍しいというのも重要だ。

 本屋を巡る動画に触発されて、家から近くの本屋に向かった。だいたい何が置いてあるかとか、私が見たい棚がどこにあるかぐらいは覚えているので、あまり新鮮味を感じなかったが、大きいサイズの手帳が欲しかったので、手帳や筆記用具を見た。大判の手帳に憧れているが、そこまで書き込むかということと、ブログに映す手間を考えたら、手帳に大金を出す勇気が起きない。岡田斗司夫が、アメリカのビジネスマンは、仕事が出来ればできる程手帳がどんどん大きくなっていくらしい。手帳を書くなら作りたいし、作る気力がないから、小さな手帳を使っている。周りに持っている人がいないので、参考に出来る人がいない。