じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240220

2/20 休憩中、気が進まなかったKindleの本の案件を進めて、ほぼ完成した。最近はこの本の案件と、LINEでよりにもよって18時に送られてくるマネーリテラシーの動画の10~20分くらいの内容を見た感想と、ライターの講座の感想を書く案件で忙殺されていた。一番面倒くさかった方を終わらせたので、心の重荷が軽くなったような気がした。自分の体質は昔からちっとも変っていなくて、仕事をする前は、宿題を無尽蔵にためて、手が出せない量になっても終わらせられず、心のどこかで常に重荷となっていた。宿題という制度はなぜ存在するのだろうか。これも軍官教育の一環で、従わない人間が淘汰されるような社会の構造に一役買っているに違いない。現に私は学校で大変な苦労を強いられ、名指しで批判され、罰を受けた。万人が私のような宿題をやらない人間ではないことは判っているが、私は本当に罰を受けなければならなかったのだろうか。他の人間が不満を抱かないようにするためだけに、見せしめとして罰を受けていたのだとしたら、もし他の人も同様に宿題をやらなかったとしたら、私の罪は軽くなったらとしたら、本当にそれは正当な罰だったと言えるのか。数年たってしまった私にとっては過去の自分を傍観することしかできない。だが当時、間違いなくこの構造に不満があって、決して折れない反骨精神によって行っていた反対運動の一種であったこと、後に反抗期と呼べるその行為を、今もなお続けている浅ましさ。それが生来の怠慢によるものか。今もなお定かではない。多分めんどくさかったんだと思う。

 そろそろわかってきたと思うが、今日は怠慢によって一日を台無しにしたのでエッセイストに成り下がって日記を超越した低俗駄文を書く事にした。文章を書くだけだったらいくらでも書けそうだ。45日目くらいから、喋るのと大差ないくらいの速度で記録することが出来るようになってきた。さすがに持ったが、当初より二倍も早く書けるようになっているのだから体感は指よりも思いつく言葉の方が速い。ちなみに今はカゲロウプロジェクトのメドレーを聴きながら文章を書いている。別に文章が迷走したから聞いている訳では無い。むしろ、上方の段落の文章は、仕事が暇なときに紙に書き綴ったものである。

 日中に三時間以上動画をだらだら見ていたからか、少しだけ見た動画を思い出すことが出来た。順番が来たら話すとする。

 夜勤の休憩が終わってから、本当にやることもなかったし、日中にあまり睡眠をとらないで出勤したものだから、眠くて眠くて仕方が無かった。最も眠かったのはフロントに立ち始めたころだった。ドラッグストアで買ったドクターペッパーでは足りなくて、自販機でコーヒーを一本買った。あまりにもまずいので、少し目が覚めた。

 フロントで一緒に夜勤をやっている人とは、あまり仲が良くない。私としては喋っている方が眠気が覚めるので、なんとか喋る言葉を考えるのだが、何度も何度も反芻して、結局喋れたのは

スターバックスで何を飲むんですか?」

ということだった。

 いつもスターバックスのタンブラーを持ってきている。この相方は私がアルバイトで入ったころ、マネージャーからコーヒーには厳しいと紹介されたことを思い出していた。

「いつも違うものを飲みます」

と、つれない返答が帰ってきた。そもそもこの人は私の事をよく思っていない。そんなことは判り切ったことではあったが、自分の確固たる意志の中に、博愛主義が残っているので、嫌われていたとしても、嫌いだったとしても仲良くなろうとすることを我慢できない。

「自分はあったかい物しか飲めないんです」

と、自分語りの方向に話し始めてしまった。以前というか、私が入ったころも大変自分語りをしたせいで嫌われたというのもあるので、抑えてはいるのだが、今思えばその会話の空間に期待している言葉の量でない場合に余計なことを言ってしまうのだろうと思われる。聞くということは、その話題について話したかったのだろうという納得をした表情をしたような気がした。

「冷たい物もあった買い物も飲めないです。あえて冷えてない方の棚から買います」

と余計なことを言ってしまった。

「滅茶苦茶意識高いじゃないですか」

という顔は嘲笑にまみれている。私が言い過ぎた言葉を笑っているのか。虚言を笑っているのか。とにかく恥ずかしかったが、私の方が悪いのは間違いない。

 この日にした会話はこれくらいであった。この恥のおかげで眠さからは解放された。朝食はあまりぱっとしないメニューであったことは覚えている。初めにサラダをとって、その後にご飯を持って、上にサラダを持って食べた。ツナと卵サラダ丼はツナマヨネーズのような味がして美味かった。

 帰ってからすぐに眠りについた。10時に寝て、12時に起きた。本来は、あまりにも何か行動を出来るような気がしなかったので、どうせ動画を見たりダラダラして過ごすくらいなら、眠ったほうが後に役に立つと思ったからであるが、たった二時間眠った後結局ダラダラして過ごし、17時になってようやく眠り、21時に眠った。18時に送られてくるLINEの講座の感想を送る為に20時にアラームをかけておいたのだが、完全に寝過ごしてしまった。いつも入浴していない時は、21時に起きて30分かけて準備をするので、流石に詰んだかと思われたが、動画を流しながらシャワーの勢いを弱めて、よく聞き取れるように努めて、髪を乾かしながら動画の感想を少し考えては手を止めて、入力をするという荒業で何とか動画の方は返信できた。動画でないライターの記事を読んで感想を言う方に関しては、私はその分が割と好きな方であったので、感情に任せて感想を書いた。28分目標で書いていたが、27分ごろに終わった。奇跡的に日常の所作と融合させて書くことが出来た。マルチタスクというのだろうか、私の大変苦手な分野であるから、仕事をするようになってから少し訓練した甲斐があった。マルチタスクとは何をもってマルチタスクと呼ぶのだろうか。複数の事を同時にこなすというのは、私の思うマルチタスクとは違って、それはあくまで結果に過ぎず、歌を歌いながら別の歌を歌うことは出来ないし、二台の車を同時に運転することも難しい。歌いながら書いたり、話しながらゲームをするのは結構できるものだ。つまりは脳の領域が違ければ容易で、同じ場合では難しい。何故この話をしたのかと言えば、この日の夜も仕事が暇で、外回りをしながら、日記を諳んじてみようかと試したが全くうまくいかなかったので、喋るときの文章と書く時の文章はやはり決定的に何かが違うのだということを認識したからである。

 訓練をすれば出来るような気がしないでもない。よく、パチンコ屋のバイト中に、ルートインのマクロの事を必死に考えていた。パチンコ屋の仕事は歩いてコースを巡回するのが仕事の九割九分を占めていたので、十分な時間があった。ルートインでは仕事をしている時間が半分以上を占めているので、中断したり、仕事を進行しながら日記について考えなければいけない。パチンコ屋でできたのだから、少しずつ進化させていって、自分の能力に落とし込みたい。

 ここらで区切ろうと思ったが、そういえば日記の文字数を二千字から三千字に増やそうと思っていたので、丁度話忘れていた動画の事もあったし書いておく。

 とある落語の動画で、小学生にそばをすするところや、とある猿の小噺であったが、落語の内容自体は小学生にわかる言葉にかみ砕いた程度であったのに、大人が聞いても全く幼稚に聞こえないストーリーだった。驚嘆し、落語というものの持つ力に驚いた。その後、何故かyoutubeのおすすめに出てきたきみまろを見て、私が最後に公麿を見たのは保育園を転校する前の、まだ一度も引っ越していなかったころに車に乗っていたCDのジャケットであったから、懐かしくなって見てみた。乱暴に言えば観客の老人を面白おかしく罵倒する内容であった。きみまろの肩書の漫談家という言葉が面白くて、漫談家で調べてみたがきみまろが出てくるのみであった。話している内容自体はIPPONNなどに比べたら少し笑いのペースのようなものは遅いような気がしたが、それでも面白いと思っている観客の、盛り上がりはすさまじかった。

 それよりも、話し方のペースがゆっくりで、盛り上げる時は声のトーンのみを上げていて、どこか落ち着きのある話し方に注目した。これは私に非常に合っているのではないか。観客が笑ってくれるという安心があれば、私もこのように振舞うことが出来そうだなと思った。しかし、失笑を誘ってしまったときは恥ずかしくて壇上から降りてしまう気がする。きみまろのような話し方で、より現代的な内容を話す漫談家がいたとしたら、是非参考にしたいと思う。