じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240221

 たった今、クラウドワークスでコーヒーの記事を書いたところである。非常に刺激的な感情を、興奮の内に書いておこうと思った。

 普段自分の日記を読み返すことは稀で、どのように書いてあろうが、読み返すときに苦痛であろうがお構いなしに、最低二千文字を目安に書いている。それゆえに、仕事として、賃金が発生する文章を書くのは初めてで、読み返した回数は十回どころではない。500文字という自分としては少ない文量であったこともあり、自分の意識できる範囲に収まる文章を書けた。普段書いている日記なんかは、書いている途中で最初に何を書いたか忘れる事さえある。

 文章を読み返すということの素晴らしさについて、再認識させられた。読み易い文章、不必要な文章の削除、分量の中に、伝えたい内容を収めるという作業、おおよそ全てがまるで初めてかのように新鮮に感じられた。普段こそ日記を書かないと落ち着かないが、一度書いたら読み返したくないと思っていた。文字数に合わせて内容を削る必要もないし、内容を順序だてて誰かに説明する必要もないからだ。

 文章を書くのが好きだというのは、最初は嘘で言っていたような気がする。そもそも誰かに言った覚えもないが、自分の中では個性として、例えば読書をたまにしかしないのに読書が好きだと言えるように振舞うように、自身の虚飾の内の一つだったように思う。

 それが今、こうして文章を毎日日記として書いて、ついに賃金をいただいて書いて、何度も何度も読み返して削ったり補ったりして、一つの作品として完成させることが出来た。それが何よりも嬉しく、推敲する快感に打ちひしがれている今、こうして日記を書きたい衝動に駆られて書いている自分の事が好きになれる。

 手元に入る賃金は500円くらいで、とても生活を続けていく糧となるようには思えない金額だが、私の思うところによれば、これを数十件続けることで、日々の糧にしている人間が世の中には数多く存在するのだろう。

 地元の温泉の休憩室から、ぽつぽつと文字を打っている。今日の案件を書いていて思ったのは、自分の語彙力の少なさである。自分は比較的に語彙力が高い方だと思っていたが、自分の伝えたいことを伝えたいニュアンスで表現できない時、最も痛感する。

 勢いで書いてしまったので、今日の朝方の事から書いておこうと思う。

 今日は指示書を作る側だったので、いつものように雑務を先に終わらせてから、指示書を書き始めていたが、あまりにも雑務が少なかったので、本来は2時ごろに終わらせたいところを0時半ごろに終わらせてしまった。相方は、先日と同じく真面目な人なので、さぼっていると思われかねない為に会社のメールを覗いていたら、清掃指示書作成ツールという物が配信されていた。

 エクセルで指示書を作る際に、宿泊している部屋や連泊かどうかを判断することができ、書きながら確認もできるというツールであったが、私が自作したマクロと似通っていた。ITシステム課の中に、私と同じような発想でホテルのシステムからCSVを作成し、VBAで情報を抜き取って整列させたり計算したりできるのではないかと考えた人がいたようだ。総合的には上位互換とも言えるが、指示書のプラットフォームが別になるので別物ともいえる。肝心な指示を割り振るという作業は人力のままなので、私が作成したCSVの情報をもとに、全室の載った表に斜線を引くというマクロは現役で使うことになる。しかし、部屋状態のCSVに連泊の情報が載っているのに、なぜ予約のCSVを二つ出して照らし合わせる必要があるのかは素朴な疑問であった。一アルバイトが本社のITシステム課に聞くのも憚られるので聞くことはないだろう。それに、保護がかかっていて改造が出来ないような趣旨の事が書いていたので、もしかしたらマクロを開いてみることが出来ないかもしれない。そこまで気が回らなかったのと、クラウドワークスの返信や日記を書く事に集中していたのもあったので、明日の出勤の日に確認してみようと思う。

 ホテルの従業員は平均年齢が私より20歳くらい高い。総意としては、今までの業務を出来るだけ変えたくないので、新しい物に変えなくて良いのならばその方法を取るだろう。自分としては、今の清掃指示書の改造に半年以上の年月をかけてきたが、何故か未練は微塵もなく、新しい物があるなら早くそちらに切り替えたいという気が強かった。それが何だか、福沢諭吉がフランス語を勉強していざ西洋の人と交流したら英語を話していたので、翌日から英語の勉強に切り替えたというエピソードを思い出させて、自尊心を高めるに至った。私の数少ないナルシシズムの原動力なので、目をつぶってほしい。

 500mlのモンスターを二缶買ったので、ふとやってくる睡魔に対抗できる松明を振りかざすかのごとく、後先考えずに飲み干した。昨日はカフェインの離脱症状で大変な目にあったので、反動で買い過ぎてしまった。指先の震えが発生するのを、むくんで腕時計が左手を圧迫していた為に、機敏に察知した。

 前述したとおり、退勤後に温泉に向かった。途中家に寄って動画を見た為に、9時50分ごろに着いたのだが、10時から開館するというのにエントランスには行列が出来ていた。こんなに人気なのかと思って、並んでいると

「水曜日だからね…」

という声が聞こえてきた。仕事の疲れと、ふと喋り出しそうな様子のおばあさんが話しかけやすそうな雰囲気を醸し出していたので、自分としては大変珍しく、どもらずに

「いつもこんなに混んでるんですか?」

と口から漏れ出た。

「男性はやすくなるんですよ」

と返答が帰ってきた。口から出たへーという相槌は、結構不愛想で失礼だったと反省している。

 この温泉はパソコンを使える良いスペースがないので、どこかでうまくスペースを活用しなければならない。少し館内を見回った後、温泉に入った。貰い物のチープカシオをつけてきていたが、少し不安だったので外した。

 ただでさえ狭いサウナがぎゅうぎゅう詰めになっているのが小さい窓越しから見えた。サウナは疲れたい人が入ればよい。私はこれから文章を書くので、疲れを取りに来たのだ。温泉も人でいっぱいだったが、土日の宇都宮の温泉ほどではない。人の息づかいが感じられる程の温泉に入った時は、イモ洗いという言葉の意味が良く分かったものだ。

 なにかをするときは突き詰める方が良いと、どこからか聞こえてきた。私の好きなふと思い浮かんでくる格言のようなものだ。あまり長風呂は出来ないたちで、5分もつかれば同等以上の時間外の風にあたっている私が、この日は妙な緊張感によって30分も浸かっていることが出来た。長風呂するにあたって重要なことの一つがわかった。私はいつも脱水を懸念して水分をたくさんとるが、水分が不足している時の方が長風呂がしやすい。おそらく、胃袋が活動していると、内臓の温度が上昇して、危険信号が発せられるのではないかと思う。全くの憶測である。

 外の風にあたっていると気持ちがいいめまいがした。酸欠が頭痛を引きおこすという妄信によって、呼吸を深くするのを意識して、肌が乾いたころに風呂を出た。体を拭かずに済むので効率が良い。

 ドライヤーが熱すぎて、前髪を上向きに吹き付けていたら髪型が変になっただけでなく、風呂上りに汗をかいてしまった。れいのあまり便利でない休憩室で、梶井基次郎檸檬の朗読を流しながら寝た。冒頭の10行くらいしか聞けなかった。

 梶井基次郎のような文章を書きたい。最近ホテルの外回りをしている時に文章を考えられないか試してみたら全然できなかったので、口語と書く言葉の違いについて考えていた。紙とペンが無ければ考えられないのならば、口語を書く言葉の方に寄せてしまえばいいということで、朗読を聴こうと思ったのだ。朗読というのは何らかの理由で文章が読めない人の為にあるのかと思っていたが、朗読を聞くということは、実は自分にとって重要なのではないかという気がした。初めて檸檬を読んだときはかなり退屈だったが、二度目に読んだときは虜になっていた。丁度近代文学作家の本ばかり読んでいたころなので、自分の性情にうまく合わさったのだと思われる。

 二時間ほど眠り、13時48分ごろに起床した。スマホでロックを解除した履歴が2つまでさかのぼれるので、いつ携帯を開いたのかが分かる。つまり、眠りに落ちたタイミングが分かるということだ。

 二時間ほど眠り、クラウドワークスを開くと、休憩中に9件に申請を出していたうちの3件が返信が来ていた。早速書き始めて、冒頭に一度戻る。

 区切りのいいところでもう一度温泉に入り、案件を探したり、仮眠をしていたところで彼女から電話がかかってきた。いやにテンションが高く、私が落ち着いて返答しているのに、全く落ち着く様子がない。

「何時に帰ってくるの?」

というので

「閉店まで居ようかな」

というと、不満そうだ。特に彼女のテンションが高いときは、あまり刺激しない方が良いので、もし帰ってきてほしいと言われたとき用の案を提示することにした。

無印良品に万年筆のインクを買いに行きたいから、付き合ってくれるならいいけど」

というと、一層喜んで

「いいの?」

と言った。

 銭湯に開店から閉店まで滞在するというのを一度経験してみたかったのだが、用事が無くなってしまったら、やることが無くなるので結局は時間を無駄にすることになる。 

 万年筆は、彼女と付き合うより前に、名刺入れと一緒に貰ったもので、どちらも無印良品であった。当時は文章を手書きすることが大嫌いだったし、万年筆について全くの無知であったから、インクを買わないと使えないとばかり思っていて、一度ペンを触った時にインクが手について驚いた記憶がある。最近有隣堂のチャンネルを見てカートリッジ式のペンがあることを知り、ペンを分解してみたらカートリッジ式であった。

 しばらく書いていなかったので、ペンを分解して、ペン先を洗浄した。ペンのインクは一文字も書いていないのに中身が空になっていた。ペンのインクがあたりにこぼれた形跡は皆無なので、蒸発でもしたのだろうか。

 洗浄するためにぬるま湯に一晩漬けると書いてあったので、一晩漬けておいたが、まだインクが中に残っていたのでもう一日つけた。二日以上つけておいたという記事は散見されなかったので、四年近く放置していたからだと思われた。

 洗浄した後にペン先をキッチンペーパーで包み、ポーチにしまっておいた。持ち歩いていたので、すぐに買いに行けるように備えていたのだ。

 18時には出発したいという旨を伝えて帰宅した。帰宅してすぐ、彼女が出発しようとしたので、パソコンを充電したいのと、袋めんを食べたいと言って一度家に戻った。昔、いとこの家では回転寿司に行くときにおにぎりを食べてから行くことで飯代を節約していると聞いて、なんてみじめな家庭なんだと思ったが、それと同じことをしている。しかも、あんなに嫌悪していた行為だというのに、あまり後ろめたさがなかったのもショックであった。

 おそらく無印良品があるであろう方角に向かいながら、途中の道で火事があったようで消火活動をしている為に立ち往生した。T字路の左側が通行止めで、右側にいた我々は、たった一人の交通整理の人がなかなか通してくれない為に三回ほど青になったのに通行できなかった。彼女は警備員の仕事をしているのもあって憤っていたが、私はこういう時は心の底から明るくするように努めていて、一切の嫌悪感というのがなくなってしまう。

「いっぱい歌えるぜ!」

といって車内に流れていた東京事変の曲を歌う。彼女は憤りながらも、デュエットなので歌うパートでは歌っていた。

 ショッピングモールに差し掛かってから、無印良品があるか調べたら無いようなので、あまり行かない店に行った。途中の道が混んでいたが、運転におけるストレスというのが、自分には無い方である。むしろ、運転していて憤っている人の気持ちがあまり分からない。母親は他の車にぶつけた時でさえあまり動揺していなかったし、前の父親も車でイライラしているところを見たことがない。彼女の親や祖父は運転している時にイライラしていることが多かった。家庭の事情が大いに関係するのだろう。

 目的地について、二階にあるというので二階に向かった。Loftが見えたので途中で寄ろうと言い、手芸ドリームも見えたので寄ろうと言ったがこちらは寄らなかった。

 無印良品では万年筆はすぐに見つかったが、インクを見つけるのに難儀した。結局彼女が見つけてくれた。彼女はなにかを買っていたが特に気に留めなかった。

 Loftで彼女が

つけペンが欲しいんだよね」

と言って探していた。つけるインクが品ぞろえが少ないし高い。ネットで買えば?といって、結局買わなかった。

 駐車場に戻る時、返信しなければいけない案件があったのを思い出して、車で十分ほど書いていた。途中で彼女が何回か話しかけてきた。集中して書いているので打つ速度が遅くなってしまった。

 あまりお酒を飲みたいと思う機会がないので、今日は飲めるかもしれないと思い、飲みに行くか提案した。彼女に一度

「行きたくなかったら行かなくてもいいよ」

と聞いたがいいよと言っていた。

 オリオン通りの方を少し見て回ったが、雨も降っていて寒かったのと、行きたい店が全く思いつかなかった。小腹も空いていて、ウイスキーの気分ではないのでバーという気分でもない。居酒屋もあまり行きたくない。

 宇都宮テラスの方の店が24時までやっていたので、そこに行こうと思い、もし他に行きたい場所が思いついたらそこでも良いと考えて近くに駐車した。

 外に出たら案の定寒かった。どうやら、遅くまでやっているのは二店舗しかないようだ。私としては、まわりの店もあまり行かない店があるので気になったが、宇都宮テラスで済ませようということで、プロントかおしゃれなレストランかで迷い、喫茶酒場という言葉につられてプロントに入った。太宰治の「ダス・ゲマイネ」で「銀座のカフェを丹念に飲んで回った」という意味だったか、そんな言葉が出てきて、昔はカフェは酒を飲む場所だったのだと知っていたので、興味があった。その話を彼女にして、プロントでビールとピーマンとカツの乗ったパスタを頼んだ。そもそもビールが遅かった。お通しの塩味のアーモンドと一緒に来て、十分も待たされた後に来たのはピーマン一つを四つに切り分けたものと、みそとマヨネーズが、ステンレスの喫茶店にありそうな皿の端に乗っていて、ステンレスということもあり、水浸しになったピーマンが拭かれもせず、皿にもついている水滴が雑さを物語っている。彼女はもう既に別の店に行きたそうにしていたが、自分は少し辛抱して、他のメニューも頼もうかと思っていた。結構、注文してから20分以上待った後、鉄板に乗ったパスタとミートソースの乗ったカツが来た。後ろにあったセブンイレブンのパスタの方がうまいだろう。ここに来る前に、隣のセブンイレブンでカンゾーコーワを二人で飲んでいた。飲むモチベーション自体は高かった。

 食べている途中で既に、退店すると決まっていた。食べ終えてすぐに伝票を持って店を出て、隣の当初目的にしていた店に入った。プロントと違って入り口が分からず、どこから入ろうか、入ってよいものだろうかとあたふたしていたら店員が少々お待ちくださいと言って待ち席に案内された。

 少し待ってから案内されたのは通路から一番近い席であった。中には結構な人がおり、女性の客がほとんどであった。メニューは特に高い商品があるわけではないが、総じて量が少ないので、隣でパスタを食べておいてよかったと内心安心した。

「料理の案内をしていますが、案内させていただいてもよろしいでしょうか?」

と言われ、お願いしますというと、バゲットに乗った料理の説明と。BBQというメニューの説明をしてくれた。聞きなれない名前だったので忘れてしまった。他に書いてあるメニューにも聞きなれない名前のメニューが多かったので、特に気になった名前は調べたが覚えていない。ワインだけ書かれたメニューが置いてあったので、飲むならワインにしようと思い、彼女は赤ワインを飲めないので、白ワインの中から彼女が、飲みたいワインを選んだ。メニューについては、二人でシェアするメニューが少なかったので、白ワインに最も合うメニューを選んで競い合おうと提案した。別に競わなくてもいいんだけどと付け加えて、私の中でとくにピンときたものを選んだ。私が選んだものは、サーモンとマンゴーと、ミニトマトが乗っていたバゲット、牛ヒレと小さいナスに、ヨーグルトソースのかかったものであった。

 彼女が頼んだのは、イチジクバターがパンに挟まったものと、バゲットに、チーズと何かが合えてある物であった。それと二人でチーズの盛り合わせを頼んだ。

 私はこれに加えて、バニラアイスを追加で注文しようと思っていた。店員に注文をしながら、食後が良いと思いその時点では言わなかった。結局アイスは食べなかった。

 お通しで、とちおとめと生ハム、きんかんだったか、柑橘類のなにかと生ハムのピンチョスが来ると言われた。知っていればチーズの盛り合わせを頼まなかったなと漏らし、早速出てきたピンチョスを眺めた。きんかんと生ハムという違和感と、もしや物凄い美味いのではないかという期待に釘付けで、うやうやしくワインを注ぐ店員の動作に注目しなかったが、注ぐ光景だけは映像として記憶に色濃く残っている。

 きんかんと生ハムのピンチョスを、うやうやしく食べた。3分くらいゆっくり感で味わっていた。皮と種子も食べれますと言っていたが、皮と種子の持つ苦みと、生ハムやチーズの塩味や旨味と大変に相性が良く、飲み込むことが出来ない程に美味かった。寿司を、食べている感覚と同じであった。彼女がいよかんの後にいちごを食べ

「先にこっちを食べた方が良かったかも」

と言っていたので少し身構えながらいちごの方を食べたが、こちらも大変美味かった。

 美食。手ごろな値段ではあったが、この一般的でない組み合わせに、高級な料理にある突飛な組み合わせの神髄のようなものを含んでいると思った。

 バゲット料理の名前を思い出した。タルティーヌと呼んでいた。端に確か、24時間低温熟成したバゲットと書いてあった。我々は熟成と聞くと、なにか菌の働きで発酵しているとか、チャーシューのような塩味と旨味の濃くなるような想像をするが、そのどちらでもなかった。パンの食感についていえば、以前とあるカフェで食べたカンパーニュのようであった。フランスパンは皮を食べる物とはよく言ったもので、パンの中身に熟成特有の香りとか、味の変化は感じなかった。皮についていえば、確かに美味かった。

 初めに運ばれてきたものは、彼女の頼んだものだった。後になって思えば、私達のテーブルの状況か、その食べ物ごとに提供するインターバルがあったのではないか。そう思えるような運ばれ方であった。私達はあまりにも味わって食べ過ぎていたので、タルティーヌは二つ、イチジクバターも二つであったが、食べ終わったのは退店する頃の1時間半後くらいであった。タルティーヌの皿は皿とは言えない代物であった。パンの起源の漫画を読んだとき、大きくて平べったい楕円型の石に小麦粉を練ったものを乗せていたら太陽光によって熱せられて発行して膨らんだのが起源だと書いてあった時の、楕円形の石の上に乗っていた。後に確認すると中身は空洞であったが、スープ皿を逆さにして、裏側がのっぺりとしているような、そんな石の上にタルティーヌが乗っていた。彼女は少し噴き出していた。商品より皿の方が高そうなとき、私も内心で笑ってしまうことがある。そういうことは観察していると頻繁にある。

 憎いほどワインと相性が良かった。白ワインは、ワインクーラーに入っていて、私はてっきりワインクーラーには氷が入っているのだと思っていたが違うらしい。ワインを飲んだときに、冷蔵庫ほど冷えておらず、ぬるくもないと話した。その温度を保つためであろう。

 保存料の亜硫酸塩の味がしなかったので、ラベルを読んだが確かに入っている。そうすると、今まで勘違いしていたのか、安いワイン特有の味なのかと彼女に聞いたら、違うと言っていた。

 私の頼んだ料理が運ばれてきたのは相当後であった。それもそうだろう、テーブルには、手で持てるサイズの物をたった四つしか頼んでいないのに二品も残っていた。BBQが運ばれてきたときは

「温かいうちにお召し上がりください」

と言っていた。酔っているので従順になっていて、BBQの方から食べた。ヨーグルトソースは牛ヒレと合っていたどころか、これ以外の組み合わせが考えられない程になじんだ。今思えばケバブはヨーグルトが入っているし、特段変な組み合わせではないのか。たった一つだけ誤算だったのは白ワインとの相性は良くないことはないが、料理として完成されていたという点で、他に注文した物と同じ測り方が出来ない。もう一つの、サーモンとマンゴーのタルティーヌは美味かったし、ワインと合わせるともっと美味くなった。私の負けであった。

 ワインは半分も残っていなかったが、チーズの盛り合わせが最後に来た時に慄いた。ワインをもう一本頼めば酔っぱらってしまうし金もかかる。金はまあこの際良いとして、料理を最も美味い方法で食べるには、アルコールを追加しないでいられる気がしなかったのだ。チーズは四種であった。結果から言えば、ワインが無くてもおいしくいただくことが出来た。まあそんなわけで、ワインは追加せず、バニラアイスは食べないで帰った。

 帰宅すると、彼女が細事を私にお願いするので気が立ってしまい喧嘩になった。段々と、最近の自分の傾向から、精神的に元の自分を取り戻しつつあり、周囲とは相いれなかったことを思い出した。私は私個人として成長しなければならない。そうして成長したからこそ周りを尊重できたのだ。他人を尊重できたのだ。他人とは、心の底から同町出来たことなど今まで一度たりともなかったのに、同じ歩調で歩こうと努めてしまうばかりに、不和が生じてしまうのだ。それが家族であっても、仮に自分と全く同じ存在がこの世に存在しても。誰とも分かり合えないということだけが、唯一分かり合えるのだというかつての戒めを、久々に理解した。彼女の言いなりになって服を脱がし、風呂に入れた。体も頭も洗ったし、髪の毛も乾かしてやった。ふて寝をするようにして眠った。マッサージをしてくれると言ったが断わった。誰にも心を許したくない気分であった。