じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240316

 急いで仕事を終わらせて、1時10分位から日記を書き始めた。日記を書くのに熱中していた時は、スマホで書くと遅いので敬遠していた。日記を書く時間が最近はもったいなく感じて、空いている時間にスマホで書くことを容認している。大体1時間に二千文字、パソコンだと四千文字。倍離れているが、当然最初の五分と最後の五分では入力する速度も違うし、その数分で書く場合ほど、スマホの方が手軽である。

 1時35分頃に3/15の分が書き終わり、ついでに今日の文を書く。友人からのラインを返しながら書いていて、今日の飲みに行く約束のメンツや場所について話していた。私はポテトや唐揚げといった凡庸なものに高い金を払うくらいなら、特別なものを高い金で食べた方が良いと思っているので、他の三人と居酒屋に行くといつも渋々食べている。しかし、私が食べたいものに高い金を払って、友人達を渋々納得させて連れてくるぐらいなら一人で食べたほうがよっぽど良い。大体酒に金を払う方が勿体無いのだから、もはやどうでも良いのだ。酒について美化できる事は、私には何も無い。失った金と時間は数えきれないが、生み出したものは今のところ手元にはない。

 酒を飲む前に、日記を書き終わらせるというのを忘れていた。少々時間に余裕がないが、少しずつ書けるだけ、書いていく。

 フリーレン27話を見た。全話がアクションをメインにしていたので見返すほど面白かったのとは対照的に、面接試験というストーリーの中で、キャラ立ちによるなろう感満載の中2系であった。まあ面白いのだが、直感的にはつまらない。あまりつまらないという言葉では表現しないが、アクションがどこにでもある凡庸なものでも好みであるように、これが好みでないというだけであった。

 1日、仕事を課さずに、手帳も書かずに、朝の引継ぎが終わってしまった。キッチンカーについて相方と話した。相方も、私と1年に満たない程度働いているからか、どもりながら話す私の癖に慣れてきているようであった。これは人の喋り方を真似ていたら自然とそうなってしまった。煩雑で、のらりくらりと主題を変える。自慰的論調だ。これは私の造語衒学的というと普通な気がする。

 そういえば昨日の話になってしまうが、独り言を喚き散らしながら出勤するとき、日記を書くのを熱心に行わないとこうなるのか!と叫んだ。実際に今、自分の、自分による、自分の為の持論を喚き散らしていると多幸感に包まれる。無料のコンテンツに溢れている。無料のものにすがると、自然と堕落する。これは、間違いがないことだ。生活の豊かさはお金ではない。それは、無料のもので済ませられるという事ではない。勘違いをしている。いつもやってから気づく。無料の、動画を見て学ぶ。無料の、嗜好を探す。多くの人間は、ネットで買うときにAmazonから探す。

 朝食メニューが牛すき煮で、看過できずに久し振りに社割で食べた。昼に寝て、夜起きて、今日は飲みに行く約束を友人三人としているので、それに向かう。仕事はしなくて良い。

 久し振りに食べすぎて、これを毎日やっていたのかと恐ろしくなった。帰宅をしながらGoogleアシスタントに2回指示をして認識された上で無視されたので、話聞いてんのかクソがと言ったら反応した。「おはよう」という四文字が少なすぎるのかもしれない。早急に対応してほしいものだ。おはようというと天気と予定とタスクと電池残量が少ないときに知らせてくれるようになっている。毎日聞いているし、何度もおはようと言っているので、私の習慣にニュースを聞くというのが紛れ込んでいて、それは良い事のように思われた。習慣とは意外にも、意識と忍耐によって会得するよりも惰性によって慣例化することがある。

 帰宅をして、眠るまで動画を見漁り、また、フリーレン27話を見た。とくに意味はない。しかし私の中で革新的な変化として、一度見たものは見ないという暗黙の了解が瓦解した事を告げていた。

 起床は15時前、三時間ほど眠り、温泉にも結局行かなかったかと考えていたら、いつの間にか風呂を沸かして浸かっていた。風呂にタブレットPCを持ち込む。スピーカーが貧弱なので音を出す場合は防水スピーカーを持ち込むが、本を読もうと思っていた。いつの間にか、百人一首の動画を流していた。聴きづらくてしようがない。

 脱水に気をつけながら、水を飲んで、コーヒーの飲みかけを飲みながら日記を書いている。飲みに行くのがもったいない感覚だ。それは前日からそうだった。そして経験上、それを上書きして楽しむことができるのを知っていた。歩いて向かう。歩いて帰ってこようと思う。車の運転も、車に乗るのも億劫な気分だ。そろそろ向かう。本当に、もったいない。

 居酒屋につき、予約したであろう友人の名前を伝えると、怪訝な顔で悩み始めた。これは、予約していなかっただろうかと思っていると、女将が

「〇〇じゃないですか?」

という。確かにその友人も来るので、そうですと伝え部屋に入る。よく来るので名前を覚えているのだろう。友人が来るまでの間、手帳を少し書いていた。ホテルで手帳を書きそびれてしまったからだ。五分ほど後に友人の声が聞こえ、手帳を仕舞った。

 その居酒屋はあまり好きな部類ではなかった。というのも、頼むメニューがあたりさわりのないものばかりで、丼ものや鍋、うなぎなどのメニューは少々高くて頼みづらいからだ。友人が

「ここでよかった?」

と聞くので、ぜんぜん、と返す。もう一人の方にも聞くがいいよと答えた。

 くだらない話をした。中学の思い出、互いの高校の話、卑猥な話、なかなかどうして、会う機会はそこそこあって、それでも何度も同じ話をしている。たまたま冴えていたからか気付いてしまった。ここから抜け出さなければならないなと思った。

 実際はくだらない話ではなかったのかもしれない。くだらなくない話とは、なんなのだ。私にはわからない。今となっては最もよく話す友人だが、人と会話すること自体は好きであった。学校に通っていた時は、多くの人と話し、比較的に分け隔てなく話すように努めていたからだ。人間一人一人に個性があって、それぞれを理解することが出来ていたような気がする。今となっては、人間一人一人の違いがあまり分からなくなって、私一人かそれ以外かで考えているように思う。人と比べなくなった。人といることを強制されなくなった。環境が私を大きく変えたのだった。

 ネギトロ丼を頼んだ。吐くほど飲んでよいと意気込んで来ているが、飲まなければいけないわけでもない。800円なので普通の気分の時は頼まないが、何故か衝動的に頼みたくなったのだ。それにつられて一人がネギトロ丼、もう一人は鳥重を頼んだ。

 ネギトロ丼は、確かに美味かった。友人の方の鳥重も美味かった。他にてんぷらなどもあり、次回来た時は頼みたいと思っていて、既に、この居酒屋が好きになっていた。初めはポテトなどの揚げ物ばかりだったので、凡庸な居酒屋だなとがっかりしていたが評価が180度変わった。酒のせいもあるかもしれないが。

 友人のうちの一人が仕事で来るのが遅くなった。約二時間後に来た。三人丼ものを食べて満腹であったので、店を移動するのはあまり気が乗らなかったが、遅れてきた友人はホルモン屋に行きたいというのでそこに移動した。

 ホルモン屋で、友人の元職場の先輩にあった。私も何度か飲んでいて、挨拶をしようかと思ったが、話しかけられなかったので無視をした。何度か奢ってもらっているので申し訳なくも思いつつ、忘れるように努めた。

 そのホルモン屋に来るのは二度目で、初めてホルモンの種類をそこで知った。酒を一杯と、ホルモンを数種類ずつ頼み、それで充分であった。運転手の友人はコーラを飲んだ。徹夜しているから帰るという。一人でも欠けたら解散の合図で、その日は12時頃には解散してしまった。