じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240223

 今日になってからまだ2時間37分しか経っていないが、非常に頭が痛い。思えば先日の夕方に2度作ったコーヒーを、飲んだ瞬間から少しずつ、頭痛の波が押し寄せてきていた。

 今までも同様の頭痛に見舞われたことがあった。二日酔いと、コーヒーを大量に飲んだ時。トップバリュの安いコーヒー豆で作ったコーヒーを飲んだ時。豆が悪いのだろうか。豆の賞味期限は多分過ぎていた。しかし袋を開けたのは昨日だし、新しい豆で作ったら頭痛はしなかったのか?

 いずれにしても、本を読む気にもならないし、案件を探す気にもならないので、日課の日記に頭痛の感想文でも書いておこうと思った。この日記は私の一部になったようで、本を読むより文章を書くほうが頭痛が緩和するという奇妙な状態になっている。

 0時10分に休憩に入った。それから、初心者向けという文句に騙されて、薄利で5000文字+紹介文300文字+装飾多数の案件の続きを書いた。指定のフォーマットを使ってほしいと言われてそちらに移した。もう関わりたくない案件だが、これでついた自信もあるので文句は言うつもりはない。いいカモである。

 それから、栃木観光奇行文というブログを少し進めた。WordPressの案件を取るために書き始めたのだが、取材をしたはいいもののまとめるのが面倒で放置していた。

 投稿をしないで溜めていると、取材をする気にもならないという悪循環が生まれる。そこまで難しい仕事でもないので進めたが、これの面倒なところは仕組み上、スマホで完結しない所である。

 二日酔いと違って、仕事をした程度では緩和する傾向がない。時間が経っても治らないというのは辛い。人生で一番つらいのが二日酔いだと思っていたが、頭痛も結構辛いらしい。

 頭痛薬を飲んだ。ホテルのお客様用の薬はフロントの人も飲んで良いらしい。バファリンなど自分では絶対に買わないので、飲むいい機会だ。とりあえず数分立ったが効き目はない。プラシーボでは良くならない程度には痛いらしい。

 久しぶりにスマホから書いている。何文字かわからないのが不安だ。昨日は仮眠気味だったので昼寝はしたくないけれど、睡眠だけが救済してくれる。起きた時に治っていることを願うばかりである。

 今、スターバックスから日記を書いている。時刻は18時29分で、先刻まで檸檬を読んでいた。とりあえず、起床したところから書く。

 目が覚めた時には、頭痛はすっかり消え失せていた。数時間前の記憶から思い起こそうとしても、いつかの二日酔いを思い出しているような、実態のない痛みが想像されるばかりであった。

 私が不満そうに頭痛薬を飲んでいたのを見た相方は、決して私に気付かれないように気を使っているのを、些細な変化から気が付いていた。やや率先して朝の新聞を出したり、コーヒーマシンを起動したりしたというだけの話だが、その生来の精神がホテルの早番の人達からの評価を上げていることを本人は知らない。

 スズランのポストカードの後ろに二月下旬の挨拶と、スズランという植物が春の花であるということなどを書いた。スズランについて調べたら、たまたま春の花だった。

 万年筆で手帳を書いた。手帳の裏に盛り上がりが出来ないのが気に入り、手帳用のボールペンは引き出しにしまって万年筆に挿げ替えた。キャップのクリップを手帳の背表紙に引っ掛けて、引っ張ったりして落ちないかどうかを確かめた。

 最近はよく同じことを言っているが、50日も書いているからか自信や変化というものが感じられるようになった。次の節目は100日だろうか。4月9日。一体どのような日記を書いているのだろう。ブログに投稿した文章を読み返さないので、あまり省みる事もないのだが、そもそもブログに書いているかどうかは怪しい。ブログに書くということに懐疑的になっている。

 朝食のカレードリアはチーズが多すぎて多くのお客様に敬遠されていると思う。私は夜勤明けなので残っていた分のほとんどを一人で平らげた。計三倍の大盛を食べたのだが、三杯目を食べながら

「コアラはユーカリの毒を消化するために、1日20時間睡眠している。その上、ユーカリの葉っぱだけを見ても食べ物だと認識できない程の、知能しか持ち合わせていない。私も数えきれないほどの時間を、過食によって棒に振ってきた。ここでよりにもよってこってりとしたチーズを大食いをして、帰宅をしてすぐに眠るのが目に見えているのに食べる。コアラに限らず野生生物は消化に多くの時間を費やす。ようやく加熱をして消化が速い食物を食べることが出来るようになったというのに」

と自己嫌悪に陥っていた。

 帰宅をすると彼女は電気をつけたまま寝ていた。私も隣で眠りについた。寝たのは、9時半ごろだったのだろうか。起床したのが11時48分だったような気がする。二時間以上は眠れたようだ。

 起床をして、どこに出掛けるかを思案していた。温泉、図書館、喫茶店、どこも私が個人的にしたいことが出来る場所であった。二人で共同でできる場所には最近は行きたくなかった。一人の時間を大事にしているようだ。

 私がいない間に、彼女が食べたキムチがあまりにも臭くて、皿も、部屋に残った臭いも、吐き気を催すほどであった。キムチの臭いが大の苦手で、小学生の時に、どんなものが出ても完食して皿をこれでもかというくらいにきれいにするというのが流行ったときに、食べた瞬間に吐き出した数少ない食べ物の一つである。結局その流行は、皿を舐めだしたあたりから終息してきたのだが、私の食に対する価値観に多大な影響を及ぼした。カレーを嫌いという人がいるように、私はキムチが嫌いなのだ。何の先入観によるものでもない。

 珍しくルイボスティーを飲もうと思った。何かを飲んだついでに作ることはあっても、それだけを飲むのは稀であった。目が覚めた方が良いという思想からである。その日の頭痛がコーヒーによるものだと断定していた為にそのような行為に到ったわけであるが、いつものように洗い物をしていてふと、これからは彼女に自分の使った皿は自分で洗ってもらおうと思った。乱雑に置かれた皿は彼女によって行われた所業で、丁寧に大きいものからお湯で流しながら、流し台の隅に積み上げた。私が使ったものは、彼女の洗い物をしない言い訳にならないように、洗って拭いて片づけた。

 彼女と小競り合いのような言い合いになった。その時に

「この間、俺が皿を洗ったら洗おうと思ったのにって言ってたから、これからは自分で洗って」

と言った。

「自分で洗ってるし。この間のケーキの奴も洗った」

と言うので

「その前のときは俺が洗った」

「でも洗った」

「だからいいよ、別に」

と言い合って、適度に落ち着いて、とりあえずは図書館の方角に向かった。

図書館の近くで、ひな壇を飾っていたところがあり、立ち寄った時に歩行者がこちらを振り向いた。

「もう終わっちゃったんですよ」

と言う。関係者らしい。

「そうですか、そうですか」

と、さっさと図書館の方に移動したかったので話を切って、隣の図書館に移動した。

 最近、梶井基次郎のような文が書きたくなって、辛抱ならなくなったので借りに来た。インターネットに無料で公開されているのだが、たまに本で読みたくなる。

 彼女に一応借りたい本が無ければ図書館じゃなくてもいいけどと言ったが編み物の本を借りると言っていた。

 駐車場に車を止めても、私はいつも読みかけの本を持ち歩いている始末で、新しく本を借りるべきか悩み、一度車を出した。図書館の前で

「おなかすいてるんでしょ?喫茶店でご飯食べて本読もう」

と提案した。本を借りるだけという目的が確定したので、彼女を図書館の前で降ろし、過ぎてしまった駐車場とは別の所に車を止めた。

 図書館で梶井基次郎の作品を探しながら、ライターの仕事に関する本をざっとみたが見当たらなかった。検索機でいくつか調べて、結局新潮文庫檸檬を借りた。彼女は以前、編み物は調べたらすぐ書いてあることが本に書いてあると言っていた。本棚の前で悩んでいたので

「どうやって売るのか書いてある本を探せば?」

と言った。作った編み物を売りたいと言っていたからだ。

「いいや、別に」

そう言って、何も借りなかった。

 私だけ、檸檬を借りて、喫茶店に車を走らせた。喫茶店は狭いところで、一度しか行ったことがなかった。彼女は、読書や編み物をする店ではないのではないかと不安がっていた。

「喫茶店って、普通、そういうことをするところなんじゃないの?サラリーマンが仕事の話をする。仕事の資料をまとめる。雑誌を読む。店内の。新聞が無ければ怪しいかもなぁ」

「でも前働いてたところは新聞置いてたけど長いしちゃダメだったよ?」

「そんなことある?なんで新聞置いてるの?」

「ねずみが通れないように塞ぐ為」

「読む人いるんでしょ?」

「いるよ。でも長居はダメ」

段々と、喫茶店に行く気が失せてきて

「どこなら行きたいの?」

スターバックスは?」

「ギリ良いよ」

「でも行きたくないならいい」

「別に、本を読めるならどこでもいい。スタバにしよう」

「ごめん」

「別に」

と言って、喫茶店の駐車場を出てスターバックスに向かった」

 彼女の鼻をすする音が鳴っていた。泣いている訳では無いようだった。スターバックスに着くと、彼女は

「行きたくないのにスターバックスに来てごめん」

と言った。

「別にいいよ、モバイルオーダーでいい?」

「うん、メニュー見せて」

といって、私はドリップコーヒーのショートと決まっていたので、彼女はチャイの何かを頼んだ。

 あまり来ないので、店内でまごついていた。店員は少し冷たかったが、どこの店でもそうなのかもしれない。少し待っていると

「モバイルオーダーでご注文の方ー」

と呼ばれて取りに行った。席はもう確保していた。

 念の為パソコンを持ってきていたが、未練を振り払って読書に没頭するように努めた。座った席は最もバリスタから近く、機械音と会話で気が散りそうになった。

 読書をする時、自分で知覚することはできないが、30ページを過ぎたあたりから集中できると思っている。読書の時間のような、20分くらいしか無い時間で本を読むのは嫌いだった。あの時間のせいで、読書から身を置くようになったのかもしれない。そもそも、遅刻癖が凄かったので教室にいなかった気もする。

 ドリップコーヒーは舐めるように数口飲んだ後、飲み口の蓋を閉めてしまった。コーヒーで頭痛に苛まれていたというのに、よりにもよってコーヒーを頼んでしまった。朝方、フロントから漂ってくるコーヒーの臭いですら頭痛を引き起こしそうであったというのに。

 本について言えば、50ページほど読んだが難解過ぎた。理論的にではない。言うなれば、隣の人の会話を盗み聞きしているようなちぐはぐなことが書いてあり、そこから読み取れるいくつものパターンから考察しないといけないし、それに意味があるとは限らない。もはや詩に近い。正岡子規と同じ感覚で読めばいいだろうか。中原中也も詩人だったか。文学と詩は切っても切り離せない感覚にあるようだ。日記とライターの仕事を混同しようとしていた自分の愚かさに気づくことになった。

 切りの良いところで日記を書き始めた。モバイルオーダーあたりまでは書けた。1時間くらいであった。少し文体を意識したが、速度は変わらない。出勤までの時間が迫ってくると、早く書き終わらせなければという焦燥に駆られていた。

 彼女がダイソーに行きたいというので19時20分くらいに切り上げてダイソーに行った。私は買いたいものが無かったので、本を濡らさないで保管できる安っぽくないポーチかケースを探したが見つからなかった。彼女は先程からずっと編んでいた私のスリッパの素材を買おうとして、同じ材料がなかったので、なんの毛糸がいいのか私に尋ねてきた。同じような毛糸を選んだ。

 帰りに、後ろのスーパーで助六寿司を買うか、回転寿司に行くかでしばし悩んだ後に、回転寿司に向かった。はま寿司が混んでいたらすぐに帰ろうと思っていたが、幸いすぐに案内された。無人機だった。

 私達が着席した直後に人が続々と入ってきて、ウェイティングが発生しているようだった。幸か不幸か。一番にいなり寿司を頼んだ。彼女はうどんと、何かを頼んだ。

 いなり寿司の一貫を、6口ぐらいに分けて食べた。その度に、ガリを倍の量口に放り込んだ。まぐろたたき巻を頼んで、塩やわさび、七味で食べた。初めてのことであった。

 終始日記のことで頭をもたげていた。一向に書き終わらない日記が、一体何のために書いているのか。理由など無いが、今現在は、私の独り言の発露のような気がしている。私のためだけと言うには少し見栄を張りすぎた文章だ。今は稚拙な文章でも、いつの日か理路整然とした文章になっていることを期待した。

 フェアののどぐろは焼き魚という感じで口に合わなかった。生ハムのラー油ネギを食べた。どちらも直感的に選んでいるが、理論的に選ぶよりも自信が満ちる自分が腹立たしい。根拠のない実績など嘘である。なんの糧にもならない。決して成長することはできない。

 21時頃に帰宅をして、15分仮眠をすると言ったが、彼女がひっきりなしに話しかけてくるので出来なかった。彼女といる時間は前より増やしたが、近くで話すことは減らした。理由はうまく説明できないが、私利私欲の為である。

 やや早めに着いて準備をする。さっさと始めて日記を書いたほうが結果的に自分の為になるからだ。マネージャーがいたのと、夕食の会計が合わなかったのとで時間を1時間くらい消費した。それでも宿泊者は少なかったので、かなり余分な時間が出来た。