じゅぬの手帳

日記。私しかわからない。あとお題。

20240228

 なかなか帰宅してからの数時間を有効活用できない。いや、よく考えてみれば、帰宅して4時間ほど寝てから、日中何かをして、出勤前に一時間寝てから出勤するというのは、実はとても効率的だったのかもしれない。26日、27日がそうであった。

 指示書を作るのを急いでいた。先日の室内エアコン清掃できなかった部屋を振るのは骨が折れた。

 うまく日記を書ける音楽が見つからない。ただいま17時39分。手帳に書いている時の時間を書くのにはまっている。

 指示書。が作り終わったのは1時37分頃であった。結構な時間がかかったほうである。が、私以外が作れば2時を回るのは確実であると豪語できるほどには全速力で作った。拙速という感じだ。確認を全てマクロに任せてあるからだ。

 なんとなく、手帳のウィークリーに、日記を書く前にあらましを書くのを好まない。日記を書いた後の方が、先日の全容をよく覚えているからだ。なんとか書くのを堪えて、所見は書き、葉書を書いていた。今使っている、万年筆で手帳を書いた時、書ける筆圧の弱さに驚いていた。ハガキのような厚紙に書くのは初めてで、最初の「残雪の候」の「残」の文字を書き始めた時点で心地が良すぎて、葉書の内容はそれになった。

 葉書の文の構成は、挨拶、白紙の葉書を50枚くれた事の感謝、万年筆で書く楽しさを教えてくれたことへの感謝、ご自愛となった。文字数はそこそこ書いたはずだが、恭しく書くとここまで内容が薄くなるのかと落胆していた。ハガキに書く文章の魅力、文学性を追求したい。

 そこまで高尚なことは考えず、30分もかけて一枚のはがきを書いた。相方は大浴場の清掃が終わって帰ってきていた。休憩に入ったのは2時35分頃で、先日の日記の続きを書き始めた。

 喫茶店で既に4千文字書いていた。日記を書き始めた時、目標の二千文字を越えると書く気力が減衰する感覚は未だにあるのだが、時間に余裕がある時は、より零細に書かないといけないという気になり、書かずにはいられなかった。

 一か月くらい書いて薄々気づいてはいたが、たった一時間、たった二千文字や四千文字では一日を書き記すにはあまりにも足りない。足りなすぎるので、特筆すべき内容を事象の中から無意識に抜き出して書いている。脚色する気は無くても、物事の前後を書かなければ悪意のあるジャーナリストと同じく、事実とは違って記される。読み返した時に、全てが鮮明に思い浮かぶわけではない。

 面白い日記を書くということは、一日の内容を面白くまとめると言うことだ。そこに脚色や誇張を含みたくないという、ある種のジャーナリズムがあるような気がしている。自分が素直な性格であるから、思っている事や事実を捻じ曲げたくないと言う欲求は人よりも強く、それが営業やライティング、ひいては人間関係に不利益をもたらしていると常々思う。

 6千文字くらいまで書いて、まだ文章を書きたい気があったので、珍しくはてなブログのお題について書くことにした。たまたま習慣についてがお題であったので、日記について喜々として語った。意外にも誰にも読まれていないようであった。たった一人の人生について知りたいと思う人は中々いないのだ。そこに付加価値が加わって初めて読もうと思うのだろう。

 日記を書き終わったのは休憩を過ぎてからであった。打刻をした後に追加で書き、過去の日記を珍しく見返していた。長文で書いただけあって、満足感の有る読み応えであった。冗長で退屈な部分は多分に含んでいた。

 楽しみの手帳を書く作業をした。たった四行のウィークリーに最も小さな文字を書くように努めた。最近は万年筆を使っているので、文字が太くなるのが悩みであった。立てて書くと文字が細くなり、インクが出にくくなるので加減が必要だと言うことが分かった。

 最近は前にパチンコ屋で書いていたメモ帳を、手記として第三の記録帳にしている。はてなブログと、手帳と、この手記が私の持ち歩いている記録帳である。いつもデスクダイアリーくらいの大きさの手帳が欲しいと思っているのだが、しっくりくるものが見つからず、自作もしたいと思っているので買えずにいる。今更、書かないかもしれないと言う不安は湧かないが、上司が横にいて、接客中にデスクダイアリーを広げて書いていられる自信は無いので、小さなメモ帳にとどめている。

 退勤が近づくにつれて、相方は饒舌になっていった。私の方はいつも自分語りをしているが、相方はどうやら仕事の事に限って話題を出すという暗黙の了解があるようだ。私がその了解を一方的に破っているに過ぎない。しかし、退勤が近づいてくるにつれて、政治の話などを持ち出した。話題を選ぶ相方にしては珍しい。若者が政治をするべきだという感じの内容であった。政治については、最も難解なものの一つだと思っているので、口を閉じることにしているが、その日は何だか気分が良かったので、元総理のこの安倍晋三麻生太郎と対比した、小卒の田中角栄の話をして面白がった。

 朝食の看板に、先日と同じくホイコーローと書かれていたので楽しみにしていた。入ったら看板を書き換えるのを忘れていただけだと気づいた。レバニラがあったので二皿取って、平皿にご飯と煮物を載せた。レバニラが臭すぎて、好物だったが食べるのに難儀した。朝食のスタッフが

「もう閉めるからレバニラを全部食べていいよ」

と私に言った。さっき二皿取ったのを見ていたからだろうが、私はもう食べたくなかった。しかしそんなことも言えず、煮物を取るついでにもう二皿取った。さすがに全部は取れなかったので3皿余っていた。

 その二皿は最も臭かった。ニラは青臭く、レバーは獣臭い。たまにこういう外れの料理を引くことがある。嘔吐感を堪えながら、煮物と、米にかけたタマゴサラダで味をかき消した。タマゴサラダは丁度、パンにはさむと美味そうな味であった。

 例のごとく満腹になり、事務所に戻ると、いつもは早く来ているハウスキーパーの一人が来ていなかったので驚いた。昨今社内で出勤時間を遅らせようという通達が流れ、全員が出勤時間を遅く来るようになった影響であろう。最も反骨精神が強いハウスキーパーの一人であったので、なおさら驚いた。私が事務所の扉を開けて帰る時に、目の前にそのハウスキーパーが、送迎されて降りてやってくるところであった。出勤時間より30分以上早いが、いつもは一時間近く早かった。

 日本人は後ろの人の為に扉を開けないというのを聞いて、少し遠くても扉を開けることにしていた。扉を開けて待っていると少し急いでありがとうと言って入った。

 帰る時、さあどうしようという感情が湧き上がってきた。満腹なのでカフェに行きたくない。温泉に行こうと思っていたが、体が家に向かってしまう。家に帰る理由を作らない為に、運転に最も邪魔な眼前に温泉セットを置いているのだが効果がない。スラックスを適当に散らかして、ふて寝をするとき、思考を働かせていた。帰ってすぐに寝るというのは、そこまで間違った選択ではないのではないか。むしろここで数時間寝て、出勤前に一時間寝ると言うのは優れた生活習慣なのではないか。睡眠を毛嫌いすることが、睡眠を直視できていない裏返しなのではないか。そう思いながら5時間眠り、15時20分頃に起きた。10時に保健所に電話をしようと思っていたので、とっくに過ぎていて安心した。

 とりあえず出かけるか出かけないかの選択をすることにした。コーヒーを作ってから考えた。もちろんコーヒーを飲んだので出かけない事が確定し、風呂を済ませた。いや、風呂に入って洗濯をしてからコーヒーを飲んだ。数時間前の事だが曖昧になっているようだ。

 コーヒーは頭痛を和らげるために豆乳を混ぜた。アイスを皿に盛り写真を撮って、はてなブログに投稿した。Webライターとして、WordPressの能力が求められる案件を取る為に、サーバーを有料でレンタルして、ドメインを買って、ブログを運営したいのだが、何をブログに書けばいいのかわからない。私の趣味のレベルの低さを、全世界に発信する恥ずかしさに勝てないのだ。日記を全世界に公開する方が、日記だからと言い訳が出来るので容易であった。

 せめてブログらしいことをしようと、はてなブログに二個ほど投稿した。ナイトの休憩の時間と、コーヒーを飲むときの時間に投稿した。

 パソコンをキッチンで広げて、横に彼女がご飯を食べれるようにスペースを作った。邪魔なものを適当に押しのけただけだ。悠々と、一つだけ来た案件を進めようとしたところで電話がかかってきた。保健所からである。出ないつもりであった。その逃避行を察知し、手が応答の方にスワイプした。泣きそうになりながら、しどろもどろの応答をした。私のキッチンカーへの不安を赤裸々に吐露した。応答した人の名前を聞いて、以前電話をかけてきた人と同じであると分かった。当時は新卒で入ったことがすぐにわかるような感じであったが、ここ三か月で少し成長したようだ。すさんでいる様子はないので職場の環境は良いのかもしれない。

 キッチンカーを設計図通りに作ったが、細かいところを確認してほしいと言うと、検査しかできないと言われた。日程は3月の4日16時になった。電話を切ってから、10時から歯医者であったのを思い出した。

 案件は記事を書いて欲しいという物であったが、ECサイトと言うところに登録をして、アンケートを80個ほど書かされてからであった。だまされたような気分になったが、タッチパネルを生かして急いで回答をしていた。彼女から電話がかかってきた。集中していたので、応答してから確か、もやしの料理を作ってほしいと言った気がする。

 再度電話がかかってきた。車を入れ替える合図であったので入れ替えに外を出た。私の気分が高揚しているのを感じた。車を入れ替えた後、車のドアを開けてあげたり、鍵をかけてあげたり、荷物を全部持ってあげたりした。

 リビングで日記を書いている間、彼女が料理をしていた。料理に手出しをしないのは珍しかった。イヤホンをして、日記を書くのに集中していたからであった。

 料理が出来たのでご飯をよそってほしいと言われ了承した。炊飯器をテーブルの上にのせているので、パソコンの後ろの炊飯器から、大きいどんぶりを取って、ご飯をやや少なめに盛った。

 もやしの豚肉巻きであった。私は普段こんな手の込んだ料理を作らないので大層喜んだ。もやしは冷凍を解凍したもので、食感に違和感がなかったのは意外であった。やや青臭い臭いがして、それが今朝食べたレバニラの臭いと近かったので、どうやら私の花がおかしくなっているということが分かった。たまに、鼻の気道と喉が直結したかのような感覚に陥ることがあった。そういうとき、変に鼻が利くようになる。あえてこの感覚にもっていかない、そもそも出来ないので、鼻が利くと言う状態に慣れていない。視力が良くなったからといって、遠くを見つめることが無ければわからないように、鼻が利いているどうか半信半疑なのである。

 とくに汁物の方は鼻について、食べるのに難儀した。まずいと言うわけではない。彼女自身が気付かないはずがないので、私の鼻のせいであると思っている。

 この手の込んだ料理の事をほめた。彼女が動画を私の前に出して、流して数十秒で電源が切れた。動画を見たくなかったので助かった。充電をしてあげようとして、納豆が付いた箸をパソコンの裏側につけた。しゃもじにもついたので洗いにいって、ふと目をやると豚肉を切った調理器具がそのまま置かれていた。包丁が置いてあること、食中毒菌が付いた調理器具をそのままにしてあることに気が気でなかったが、彼女が家事をすることに口出しをしないように努めていたので耐えた。

 料理を食べ終わると、彼女が寝室で二人で別行動がしたいと言い出したので了承した。掃除をしようと思ったがほとんど彼女の物しかなかったので、彼女に掃除をしてもらうことにした。彼女は調理器具を食べ終わった後に洗った。ここ三日間はしっかり家事をしている。しかし洗い終わったものを置くところにフライパンと鍋が置いてあったので、不意にそれを指摘してしまった。彼女は彼女なりに、水垢がついていて私が嫌だと思ったからだと考えたと言った。こういった細かいこと一つ一つが、彼女を傷つけるのだと自分を戒めた。

 寝室で、今日記を書いている。彼女は途中から私の膝で眠っている。続きを職場で書く。

 あと10分、あと5分と言って寝ているので、何度か起こそうと試みたが、徒労に終わった。日記を書いた後は、檸檬を読んでいた。50分くらい読んで、座禅をしていた。

 目標にしている人間がいないとどんどんと堕落してしまうのではないか、裁判官は閻魔大王の様に溶けた銅を日に三度飲めるのか、などと考えていた。

 出勤前に残っていたコーヒーを飲んだ。頭痛が起こるのではないかと頭が拒否していたが、無理やり流し込んだ。確かに頭痛は起こったが以前ほどではない。しかし、両の鼻から透明な鼻水が出てきて、コーヒー、頭痛、透明な鼻水などと調べていたらアレルギーと出てきたので不安になった。

 今日は指示書側を教える日であったので身構えていた。引継ぎが終わってから、夕食代の計算や、引継帳の作成、予約のコンファームなどを教えた。